批判への対応
メディアでいろんな人の謝罪を目にすることがあります。
わたしが、気になるのは批判への対応のための謝罪です。
大勢に批判されたから謝るという姿勢を見せる事を私は時に疑問に思うんです。
何か意見を言ってそれが批判された場合に、それを聞かないのは良くない事です。どんな声があるのかに耳を傾けるのは大切だから。
けど、大勢が声を上げてそれが必ずしも正しい事なんて本来なら誰も分からないはずです。
発言に対し批判される人がいる。
その批判された人が何も考えなしで、発言したり行動していたとしたら、その大勢の声を聞いて誤りを認め謝るのは良い事です。
誰でも間違うし失敗するのでね。
けど、発言やそれに基づく行動をちゃんと信念を持って行っている場合に、大勢の声を聞いてすぐに謝るべきかというと私はおかしいと思いますね。
しかも、その批判とやらは本当に大多数かも分からない。
声を上げないけれど、その発言をよく思っている人もいるからです。
“サイレントマジョリティ”というやつです。
しかも、その批判とやらがしっかりと筋が通っていない感情に基づいたものである場合。
例えば、
”私はそういうことが嫌いだから”
“私はそれは不快だから”
みたいな感情が背景にある場合。
その批判している人の感情を否定してはいけないのと同様に、その行動や発言をしている人の感情も否定すべきではないはずです。
それは表現の自由ですから。
これが揺らぐって、とても危険な事と私は思いますよね。
なぜ、片方の不快感だけが優遇されるのでしょうか?
何が好きか嫌いかなんて、人によって違うでしょう…
批判の対応として、ちゃんと考えがある場合は、どうして自分がそう言ったのか、それに基づく行動をしたのかを説明する。
そして、批判した人の意見を取り入れ、改善すべき部分はできるよう改善点を探しベストを目指すのが良いのではと…。
すぐに謝り、自分の発言を撤回する。
そんな例ばかりメディアに溢れると、それが当たり前に見えてしまいやすく本当に良くないと思います。
そもそも、建設的な会話をするという習慣さえ脅かす事になる。
ただでさえ、それができない日本人は多いから、世論誘導できてしまう。
多様な意見を取り入れてこそ、生き残る強い集団になる。それは、どこの国でも変わらない。
しかし、すぐに批判に謝る人ばかりではそれと逆境している。
批判された人が少数派であったとしても(まあ、それさえ分からないけど、、)、どういう意見があるのか分からなくなってしまうのは、おかしすぎるし良くない。
日本人は意見を言い合うのに慣れていない。
私はこう思ってるけど、あなたは違うから聞きたくないみたいになりやすい。
その割に、相手が不快に思っている可能性がある事は排除する人が結構多いと思う。
意見と感情の切り離しが下手だからだろうなぁと。それに、会話は双方共にお互いの意見をちゃんと聞こうという意識なくして成立しないのも大きいと思う。
上手く歩み寄っていく雰囲気がないと非常に難しくなってしまう。
自分が不快だったり嫌いに思う要素があるんだから、相手にもそれはありそれは同じとは限らないという事実を意識しておくことは大切。
海外で日本人は、自分が批判されていると感じるとすぐに謝る人が、他民族より多い。
だから、
「すぐにSorry. と言うし、ちょっとこちらがとうしたい事があればYes. と言うから簡単に言うこと聞かせることできるよね。」
みたいに言う人がいて、そんな発言を実際に私は良く聞いた。そういった日本人の特性を使って騙せるなと言ってる人にも何度もあった。
これは、良い話な訳ないと思う。
もっと、意見を自分なりに工夫して伝えている人も沢山いる。
批判への対応から、意見やそれに伴う表現の自由について考えた。
すぐに、“Sorry. ”と言わず、ちょっと考えてみてほしい。
すぐに撤回しては、
“その程度の発言だったのか”
”大したことないな、日本人は”
と印象付ける可能性もあるということを…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?