意見と英語力は関係ない
オーストラリアの語学学校では、ひとつの題材を決めてそれに対する意見を言うみたいな内容の授業が多かった。
南米の生徒とかは、とめどなく人の話を遮ってまでも意見を物凄い勢いで喋る人が多くて最初は慣れていないので圧倒された。
それだけじゃない。自分と反対意見の人は何とか打ちのめして自分たちを有利にしようとするような話し方をする人も多かった。
(多分だけど、日本の中の感覚だけで見てしまうと喧嘩腰に見えるレベルと思います。)
そういう人達は、とても口が回るので英語力があるように見える。聞き取りがそんなに出来なければ流暢に聞こえてしまう可能性もある。
そして、話の内容が優れているかどうかに関わらず頭が良く同時に英語力が優れていると見ていて、異常に劣等感を感じる人もたまにいた。日本人はそうなりやすい人も多いのかなと、思ったことも…
しかし、私の考えは全く違い、意見を言ってることと英語力は対して相関性がない場合は凄く多いと思っていた。
「意見が言えないから、私は英語を喋るのが向いていない」
みたいに思いがちな人は、何かに騙されていると思った方が良い。
意見を言ってるように見えたって、自分を客観的に見れないレベルの人がクリティカルシンキングを出来ていなければ、そんなに高いレベルの事は話していない。
頭が良いかどうかは内容を精査しなければ分かったものでもなく、口が回っているかだけでは判断できない。
それに意味がないことをずっと繋ぎ合わせて、言葉を出してるので、別に英語力が高くない人や対話力がない人なんて沢山いた。
仕事や日常生活で意見を言わないといけない実践的な状況になったときに、相手に聞かせ納得させ動かす。それとも、相手の話をよく聞き自分の考えを合わせてより良い解決策を導き出す。
それが非常に大切で、これは英語力とは別の部分。
母国語で出来なきゃ英語でできる訳はない。
自分の国の中で出来ないことが、言語を変えただけで出来るわけがないということ。
それができる人は、英語学校レベルではそれ程多くないように感じた。まあたまにはいるんだけど……。
なのに、ペラペラ口を開いている人を見て劣等感を抱いているとしたら全く意味ない時間。
むしろ、優秀でもなく適当に自分が言っている事を正当的に見せる態度に騙されてるって話だ。
きっとネーティブスピーカーで尚且つ優秀な人だったら、適当に大きな声で威圧的に相手を打ち負かすような話し方をしていると分かれば時間の無駄と切り捨てる人さえいると思う。
英語力がすごい低いのに、出来るようにだけ見せていると分かれば恐らく口には出さないかもだけど馬鹿にされる対象者でしかないはずだ。
言わない人も多いかもしれないけど、世間は結構シビアに見ている。
しかも、日常生活とかで英語を使う場面って意見交換ばかりでもない。
雑談とか情報伝達。関係を円滑にするための声掛けとか多岐に渡っているはずだ。
意見を伝えるのが苦手な人は多い。
あとは、クリティカルシンキング自体をよく分かっていなく身につけていない人も多い。
これは日本語でできますか?という話にもなる。
思考がちゃんとできていて、英語のアウトプットに慣れてこれば自然とそれに伴い意見が英語で言えるようになる。
逆に、英語圏で生まれて育ってきている人でも、思考力が乏しければそれを土台に言葉を使う。
意見と英語力は関係ないとまずは思うことが大切ではないだろうか。
英語力を磨けば意見を伝えられる人間になるわけでもない。それと同じことで、意見を伝えられる人間が必ず英語力が高いわけでもない。
もっと言ってしまえば、思考力、創造力、言語力そしてコミュニケーション力は別に考えなければいけない。
当たり前の話なんだけど、ごっちゃになっている人も多そうだから注意が必要に思う。
どこで英語を使いたいか、なぜ英語を身に付けたいかでどの部分を強化したいか身極めないといけない。
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