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人が〇〇主義を言うときに考える事

 興味深い記事が提供されていましたのでコメントのような形で記事にしてみました。えっ、小説と関係無い? いえ、あるのです。

 まずは下の記事をお読みください。また、記事の中にも引用記事がありますのでゆっくりとできれば全部お読みください。

 最初に言っておきますと、私の考え方は桜坂郎さんと似ています。①〇〇主義の提唱は他人を不幸にしてしまうと考えます。これは歴史の中で何度も行われていることを考えれば明らかです。例えば、宗教による禁欲の強制などは典型で、なぜそこまで他人を罪人と定義しなければならないのか!?、なぜその程度の事で神に許しを請わなければならないと言うのか!?と。

 これはイントロですが、そこから先は記事を読んでいただければ十分ですのでここではあえて書きません。

一般化すること

 さて、そして、私がなぜわざわざここに記事を立ち上げて書いているかという事になります。実は、最近の傾向でこれに関連しそうな事が多くあると感じているのです。

 それは、どうも最近は「自分一人の思いを一般化してしまう」傾向が顕著だという事です。

 ここ2年半程度の間に新型コロナ感染が世界中に蔓延しました。ニュースではコロナに感染して多くの方が亡くなりました。多くの人が「怖い」と感じました。一方で「そんなの嘘だ」という人が出ていました。怖いも嘘も、実際のところ個人的な感覚です。コロナは怖いから、コロナは嘘だから「〇〇しなければいけない」との主張が出ました。うーん、間違っていないような、間違いのような??? 専門に研究されている方や論文を読んで知識をアップデートしているお医者さんにしか事実はわかりませんが、なぜか「私の言うのが正しい」と一般化している事が多かったようです。同じようにワクチンもそうです。何もわかっていないのに「ワクチンは人体実験」のような事が言われました。何が正しいのか、ニュースを読んでいるだけの私には全くわかりません。

 これは最近多い思考形態なのかな、と思います。つまり、「生きることには必ず苦痛が伴う」というのは、事実のように聞こえてしまいますが、本当にそうでしょうか? それは個人の感想なのではないでしょうか? それを他人にも当てはめて一般化する事は可能なのでしょうか?

 と言うより、なぜそう主張する人はそれを全人類を代表した思いだと考えられるのか、というのが問題です。私に関して言えば、私はどちらかと言うと自己肯定感が低い自信の無い人間ですからそうした事を普遍の真理のように言える方が理解し難いのです。(仮にそれが完全に客観的に正しかったとしてもです。)

 小中学校で勉強しますと、必ず試験問題には1つだけ正解があります。ただ、学校の過程を終えて社会人になった時に初めて経験するのは絶対正解の無さだったり、多くの正解らしきものだったり、理由も証拠も無いけれど近似値を採用だったりします。どちらかと言うとイイカゲンな答えの方が多いものですから、多くの事に関して「〇〇主義」を主張するのは困難です。それでもなぜか人間は主義にまですぐにしてしまいます。不思議です。

パラメータの少なさ

 さて、さらにその裏に見えてくるものがあります。それは考えるパラメータの少なさです。

 昔、天気を予測するのは人間がやっていましたが、今はコンピュータです。人がそれをする場合は、気温(測定できる)、湿度(測定できる)、風(測定できる)、太陽の位置(わかる)、海水の温度(測定できる)・・・というようなデータを多分机の上に並べてみて、「よし、明日は晴れだ」となったかと考えますが、コンピュータは世界中のデータを全部考慮して、山の形や風の向きと渦の巻き方等、いろいろな細かい違いを考慮して決めてくれます。今はもっとずっと賢いのでしょうが、AIならパラメータが100でも200でも、その影響力が高くても低くても全部考慮してさらに確度を上げて来るでしょう。

 ですが、人間が日常の問題で考慮できるパラメータなど、1つとか2つとか3つとか、要はかなり少ないのです。Youtubeを観ていて「〇〇さんが言った」というたった1つのパラメータで意思決定をしたり正解を決めたりもしてしまいます。

 「生きることには必ず苦痛が伴う」というのは1つの情報で、たぶん間違いはないでしょう。ですが、それ以外のパラメータは、〇〇主義になる前の段階で捨ててしまっているのではないでしょうか? 苦痛は同じ事があれば誰でも同じ量の苦痛を感じるものなのか、どのレベルだと子供の虐待と言えるか、男女差や年齢差はあるか、苦痛の種類はどれだけあるか、そのうち何かすると苦痛を無くせるものはあるのか、対処方法はあるのか、対処方法は社会的な対策か医学か物理かそれ以外か、そもそも苦痛とは何か。

問題と答えは同時に発生する

 仕事をしている中でよく経験するのは、「問題が顕在化したと同時に答えも顕在化する」事です。これは無意識に人の脳の中で行われ、そして一定の説得力を持った答えが出ますので気付き難いかもしれません。ですが、よく観察しますと誰でも大概それをやっています。(自分も含めてです。)

 会議でよくある事ですが、「〇〇の問題が発生しました」と同時に「△△△したら良いでしょう」とすぐに答えが返ってきます。それで本当に問題解決になる事もありますが、そうでない事もあります。それは問題ではありません。

 問題は、①すぐに答えが出てくる事、②答えがシンプルである事、③答えが多くの人が反論できない正しさを持っている事、です。何が言いたいかと申しますと、人は脳の省エネルギーをしたいという事です。

 一度、ご自分の思考を観察してみてください。問題がわかったと同時に簡単な答えがすぐに頭の中に用意されるはずです。


 「生きることには必ず苦痛が伴う」→「子供を生んではいけない」と根本解決を言うのもそれに似ています。論理的に正しそうな感じがします。だって、人間は生きてればきっと何度かは苦痛を味わうよね、と。

小説

 小説を書く時は、そうした思考形態にも、それを利用、または対応していかないといけないと考えます。

 利用する側は謎解きです。これがこうなって、あれがああなれば次はこうなるよね→→全然違う事態になる、全然違う人が犯人、全然思ってもいなかった理由があった、のようにです。事件が起きた時に読者の心の中には答えが用意されます。それは書き手にもわかりますのでわざと外すのです。普通ですね。

 対応する側の場合は、善悪感情や感情移入です。ヒーロー物を書く時にヒーローは完全善でその相手は完全悪というのは今は流行りませんが、書く時の視点によってその傾向は出てしまいます。場合によっては「この相手は悪人だけど実はね」と修正を入れてあげないといけない場合があります。

 007の「スカイフォール」を観ていた時に私は思いました。悪役には手下が何人もいたのですが、あの人たちは戦ってバタバタと死にます。だんだんと味方の数が少なくなっていって負け始めますが、もし親分が死んだらこの人たちには給料が入らなくなるだろうし、生き残ったとしても失業してこれからどうやって生きていくのだろう?、と。製作側からすれば余計なお世話なわけですが、これなどは単純な人の性質を利用したストーリーになっていると言えます。

 恋愛小説ですとヒロインに感情移入すると恋のライバルは意地悪になってしまったりもします。もし恋敵の人の家庭が荒れていてその人の性格がその事に関連していた場合は同情してしまうでしょう。それを隠しておくか、おかないかは小説の書き手と目的によります。


 話は反出生主義から離れてしまいましたが、〇〇主義のようなものがあると、私はそんなふうに考えてしまいます。そして、最後にお断りしておきますが、その主義が間違いだとは言っていない事に注意してください。人は何をどう考えても構いません。自由です。この文章は反論ではありません。

 あ、そうそう、最後に「苦痛」という言葉についてですが、これに関しての定義がはっきりしていません。はっきりしていないというよりは、はっきりできないのではないかと考えます。幸-不幸、快-不快、安楽-苦痛、こうしたものは以前に調べたスピリチュアルのグルによれば相対的なものだそうです。私もそんな気がします。

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