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言語能力と理解力、そして対話力

外国人の誰かと会話をしていて、さっぱり理解してもらえない。また、その逆で全然自分が理解できない。その結果、外国人と全く仲良くなれない。そんな風に思った事ありますか?

こういう事が起きた時、なおかつそれが英語で行われていた場合、どうしても言語能力と理解力を絡めてしまう可能性が高い。
しかし、それはいつも正解ではない。

だから、私は

“あぁ...私の英語力が足りないからだ…。”

とすぐに落ち込んで欲しくはありません。

それには、理由があるんです。
私は9年以上オーストラリアの西側にある、割と都心部パースに近い場所に滞在していました。そこで感じたことは、ネーティブスピーカー同士でさえも相互理解できる場合とできない場合、仲良くなれる場合となれない場合があるからです。

これって日本人同士でも同じではないですか?

それなのに、英語を特別視しているせいですぐに英語のせいと思ってしまう。

英語なんてものは、特に沢山の国の人達が話すのですから、相手も自分も全く性格も考えも違う人が沢山いるのが当たり前です。
だから、双方共に許容範囲がいかほどかで理解力含め、仲良くなれるかが決まっているんです。

相手との違いがすごくある状態なんですよ。
その中の一つとして、言語の習得レベルが含まれているという前提を忘れるとおかしな事になります。
だからこそ、言語を習得する過程で自信を簡単に失うべきではない。

そして、ネーティブスピーカーでさえコミュニケーション能力は高い人と低い人がいます。ボキャブラリーが少なくても自信たっぷりに話す人もまあ見るんですよ。こういうのは、ただの捉え方でどうにでもなる。

そこで整理するため、どんな状態が会話を互いに理解でき、そして円滑に関係を結べるのだろうか?下にまとめてみます

1.  互いの知能レベル
2.  互いに違いを許容できる範囲(寛容性)
3.  互いの会話の内容に対する興味の度合い
4.  互いの前提条件への理解度
5.  言語能力のレベル

まあ、こういったところでしょうか。

言語レベルは、もちろん関係はあるのですがただの一つの要素ですよね。
そして、会話が成り立つかどうかは自分だけじゃなくて相手の状況も非常に関係しています。仲良くなれるかどうかも然り…。

これを日本で日本語で話すと考えてみれば、分かりやすいかなと。

日本人は英語圏の人よりも、全体的に自信がない人が多いです。だから、すぐに自分が悪いと思いがち。特に、英語力が乏しければ“私の英語力がないからだ…”と思いがち。
だけど、いろんな国出身の人を見回せば違う。

「私は今、一生懸命会話できるように努力してるんだ!偉いだろ!」

「分からなくて当たり前だ。分かるようになればいいんだから。それだけで、コミュニケーションを断つ奴はこっちからお断りだ!」

と自分から言うような人達もいる。自分に自信があるからとても強い。それにそういう人は、英語なんてただの一つの要素という事を分かっているから、それだけで自分の価値を下げる事は決してしない。
その結果、英語力の上達は平均的な日本人に比べてとても早い。

ボキャブラリー足りなくても、あらゆる手段で伝えようとし、その内に英語脳を身につけていく。慣れが早い。

萎縮すればするほど、声を出せれないからその分英語脳になる道は遠くなる。座学以外の問題で殆どは気持ちの問題だから。

自分を出せば、自分に合う人も許容してくれる人も集まる。

そこで、上にあげた

互いに違いを許容できる範囲(寛容性)

は、もっとも重要だろう。

ここで問題となるのは、そもそも自分を見せなければ相手にとっては許容以前の問題となる。そして、自分自身が相手の価値観に心閉ざせば、コミュニケーションは成り立たないという事。

お互い様だろう…。

だから、自分だけのせいでという事は起こり得ないよって話。コミュニケーションにおいても、、

すぐに自分を責める。もしくは相手を責めるとしたら、ちょっと立ち止まって考えるべきだ。その理由はなんなのか。

自信のなさなのか?エゴなのか?と…

英語力は、対話力とも非常に関係していると考えればどれだけ知識があるかばかり考えず、こちらにも目を向けなければ変と言える。

で、なければただの英語コンプだろうな。

言語能力と理解力、そして対話力は繋がっているようでいない部分もある。

思考の見直しをしてみるのは、とてもよい。

英語習得への、マインドいろいろ!

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