話の割り込みについて
英語圏で会話していると、話の割り込みが度々起こります。それは日本よりも、頻繁と感じることもありました。
なので、話の割り込みはもしかしていつでも失礼じゃないんだろうか?と思ってしまうほどでした。
しかし、現地人も受講するコミュニケーションの授業では人の話を遮らないように、ちゃんと話を聞くのが礼儀と書かれていました。
どういう事なのか?と考えました。なんで、話の割り込みが起こってしまうのかと…
それはもう、言語の特性とコミュニケーションの取り方に由来するんだと思います。
分からないことはその都度尋ねないと、バックグラウンドの違いによって認識違いが出てきやすいので質問することに躊躇しない人の多さもあるのかなと…。
あれ?どういう事かな?と思えば会話の途中でも、ヒントを得ないとちゃんと理解できないと思う人も増えてきます。
もうひとつは、短くなくて語数を多く使い話すコミュニケーションだからです。
途中で言いたいことが見つかったとして、その場で言わないと相手が話し終わるまでに忘れてしまい伝えられない可能性がすごく高くなるからでしょう…。
相手を敬う精神を持っている人なら、相手の話をちゃんと聞くことが大事なんてことは分かっているはず。
けれども、言語と環境要因から生まれたコミュニケーション方式によって話の割り込みが頻繁に起こっても仕方がないという事。
“話の割り込みがすごい!失礼な人達だ!”
そう思ってしまうとしたらその前に、どうしてそういうコミュニケーションが生まれてるのか考えてみて欲しい。
そして、
“今話してる人が話終わったら、喋ろうと思っていたのに自分が一言も発せなかった。”
と絶望に近い感覚を持つ前に、周りの意識と自分の意識の違いについて考えて欲しい。
多くの違う人達がひとつの事を話している時は、情報の交換を正確にした方が良いと考えれば、割り込みがいつでも礼儀が悪いこととは判断しにくい。
話の割り込みは英語を使うコミュニケーションでは頻繁に起こるのは事実。
その度に圧倒されていては、一言も言葉を発せない場所が多くなるはずだ。
自分が話の流れを理解できるか、そして周りに自分の意思や気持ちそして意見をどう伝えればいいかを考えた時に黙って聞いていることだけが正解とは限らない…。
黙ることが必ずしも礼儀ではないとも考えはつく。
邪魔する気持ちだけで割り込んでいるとしたら、それは良くない失礼なことと思うが、そうでない場合も多々あるのは事実。
割り込みながら話しても失礼にならない場合もあることは知っておいた方が良い。
時と場合によるって話だと思う。最初から拒絶していては、話すのも難しくなる場面は多いのは事実だ。