だから,上を向いていよう

わかっているけど,言葉や言い回しを敢えて選ばない
そんなときが自分にはある。

「こういう言い方をすると,この言葉を使うと,
傷つく人がいるかもしれない。」
「そこまではいかなくても,気に障る人がいるかもしれない。」
そう気づいていても,敢えてそうする自分がいる。
それは,其時・其処に譲れない「何か」があるからなのだろう。

なんでもかんでも,
相手がどう受け止めるかばかり気にする世相がはびこっている。
やもすると,すぐに「ハラスメントだよ」と脅される。
だから,自分を殺してもの謂う輩が増えてしまい,
お手盛りの着飾った安っぽい言葉で相手をもてはやすだけになる。
どんな言葉も自分にも相手にも全く刺さらない。

そうしていれば,誰も傷つかないかもしれないけど,
そうしていれば,誰も傷つけないかもしれないけど,
そうしていれば,誰も泣かずにすむかもしれないけど
そうしていれば,誰も泣かさないですむかもしれないけど
そんな薄っぺらいのが,ほんとうに幸せなのかな・・・ちがうと思うね。

もっと向き合おう,正面から
もっと信じあおう,心の其処から
もっと語り合おう,飾らずに

一晩,泣き崩れることがあってもいい。
一日,ふさぎ込むことだってあっていい。
一週間,閉じこもったっていい。
一月,誰とも話さなくなってもいい。
一年,人を全く信じられなくなってもいい。

だけど,どれも限られた時の「流行り病」であることを忘れてはいけない。
死に至る病も時にはあるだろう。悲しいけれど,それは避けがたい天命だ。
多くは時の流れとともに変わりゆき,揺らぎ続ける。
ふとしたときに,曇天の隙間に光が必ず見えてくる。
だから,上を向いていよう。


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