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こうして私はラテンダンスを踊ることになった。

なぜ私は今ラテンダンスを踊っているのか。
わからない。めちゃくちゃ恥ずかしい。でも踊らないと逆に目立つ。

いきなり意味不明な私の心の声を書いてしまったけれど、夫の帯同でニューヨークにきてから半年経った4月から近所の図書館で開催されているESL(English second language school)に通い始めました。
今日はそのFinal Party。
語学力がどこまで伸びたかはちょっと不明ですが、今回はこのESLで経験した話を書いていきたいと思っています。

無料ESLに通ってみた。

渡米してから無料ESLに行くまで

私は10月終わりに夫の転勤に伴いニューヨークに引っ越してきました。付き合い始めた頃から「将来は海外で働きたいから、ある程度は英語ができるようになってほしい」と言われており、真面目な私はちょっとずつ勉強を開始させていましたが、それにしてもレベルはひどいもの。母の知り合いに頼んで「Hello!」から1年間くらいやり直しをしました。
そしていよいよ決まったニューヨーク転勤。
そして11月頃からまずは有料ESLに通い始めることに。有料ESLは有料の中では安いところを選んだため、いきなり対面からオンライン授業にしますと宣言されたり素晴らしいと言える対応でなかったものの、先生はとても良い人だったため割と自分でも驚くくらい語学力が伸びていきました。
(0.5が3に伸びた感覚です。笑)
日本人スタッフもいたし、お客様なわけだし、アメリカンな対応ではあったけれど、それでもそれなりには助けられた。
少し話せるようになった私は調子に乗って、よし、次は無料ESLに行ってみよう。できれば日本人はあまりいないところにしてみよう。お隣の国ってなんだか親近感わくから、中国人とか韓国人とかいるといいな…。なんて都合のいい期待を抱きながら、3月終わり近所の図書館の登録会に行ってみました。

クイーンズライブラリーです!

家から歩いて行けるESLを発見!

クイーンズ区に住んでいるとはいえ、マンハッタンの図書館までは2駅。30分もかからずに着くところに住んでいます。それでも私がクイーンズライブラリーを選択した理由は一言で言って「電車賃」です。
往復で5.5ドル(日本円で800円程度)を週2回かけるのであれば、運動不足だし歩いて40分のところに行った方がいいなと考えたわけです。

ちょっとマンハッタンとは雰囲気が変わります◎

私はこの辺りがそんなに怖いと思ったことはないけれど、ちょっと私達が住んでいる所とは雰囲気は変わります。でも後で詳細は書きますが、私のこのESLで知り合った仲間はこのあたりに住んでいるし、昼間であれば特に問題ある場所だとは思っていません。もちろん、斜め掛けのバックを前にしっかり持ち、必要以上にいい服を着ないなど気を付けるべきところは気を付けていますが。

登録日に行ってみる

いよいよ登録日、まずは図書館のスタッフさんと1vs1で面接を行いました。なかなか聞き取れなくて、下のクラスになったらどうしようかと思っていましたが、なんとか中級クラスに入れてもらい、火曜日~土曜日まで9:00~14:00のコースとなります。中級クラスとは簡単な会話はできる人が集うクラス。
面接の後は説明会へ。
主にメンバーはスペイン語チーム7、ロシア語チーム2、それ以外チーム1という感じでしょうか。スタッフさん達は「スペイン語で後で通訳するし、ロシア語もなんとかなる。中国語は話せないけど、ちゃんと訳を案内VTRに書いておいたから心配しないで!」なんて言ってます。

あの…結構話せない日本人ここにいるんだけど。
全然何したらいいかわからないんだけど。

とりあえず4/16にここにくればいいという情報だけ確実に聞き取れたため、後はもう行けばいいやと思うことにしました。みんなはこれから一緒に学ぶメンバーとして同じ言葉の人と自己紹介をしていたけれど、私は泣きそうになりながらすぐに家に戻ってきました。
仕事から帰ってきた夫には「日本人誰もいないし、みんなスペイン語ばっかり。友達もできそうにないし、嫌になったらやめるわ。」と保険をかけておきました。

4月中旬レッスンスタート!

「ジャパンブランド」をフル活用した自己紹介

いよいよ4/16、レッスンスタート。
第1回目の授業は自己紹介から。どんどんみんな手を挙げるんです。
真ん中くらいで目立たない程度に終わらせたかった私ですが、結局雰囲気に圧倒されてしまい大トリを務めることに…。
ここはアメリカ。もじもじしちゃいけない、と思いながら、なんとかぐちゃぐちゃな文法で自己紹介は終了。
クラスメイト達の反応は「東京はマンハッタンに似てるって聞いたぞ。」「お金持ちの街だって聞いたぞ。」「実際SUSHIは美味しいのか?」「ラーメン大好き!」「富士山の写真みたい!」そんな感じで、なんだか一安心。
「確かに東京とマンハッタンはちょっと似てるかも。」
「富士山の写真はこれ」←ちょうど渡米前に行ったので写真があった。
「SUSHIは美味しいよ!」
「ラーメンはこっちで食べるには高すぎ。日本なら5ドル(推定700円~800円)で食べれる」
と一つ一つ回答していきました。
MIKUという名前は発音しづらいようで、マイクになったりミコになったり(もはや)ジャパンになったりしたけれど、みんな私に(ジャパンに?)興味深々!よかったー、と調子に乗りました。

独りぼっちの休み時間

しかし楽しかったのは1回目だけ。2回目からはそれぞれ自分たちの言語でグループができており、私は独りぼっちになってしまいました。
自分から話しかける勇気もわかず、休み時間は本当に独りぼっち。
当てられても答えられないし、間違えるのが怖くて発表ができない。
もう「ジャパンブランド」も通用せず、私は一気に全く話せないお子ちゃま扱いになってしまいます。(アジア人は若く見られがちなので、みんな私のこと15歳くらいだと思っていたようです。)
教室にいても悲しいため、図書館を出て外を眺めていました。(病んでる)

みんな文法はぐちゃぐちゃだけど、話せる…という感じなので、日本人とは真逆です。私の場合は文法はなんとかわかるため、課題は早く終わる。じゃあ教えることで仲良くなれるかな?と思い、「英語には三単現のSというものがあってだな…。ほら、だからここはDoesだよ!」と手助けしてみたところ、少しムッとされてみたり。なかなかうまいこと行きません。
無料だし、もう行くの辞めようかなと思ってしまいました。

それでも通い続けたかった理由

それでもなんとか通い続けられた理由があります。1つは日本に戻った時、胸を張ってNYの思い出を語れるようにしておきたいこと。もう1つは数年前に日本で知り合った友人との出会いがあったから。常に第一線で働いていて、英語も完璧な彼女は旦那様の転勤で北欧圏に住むことに。いきなり翌日から精力的に動き出し、行動何1つ旦那様に頼らない。彼女はいつも日本で人の目も気にせず、人と比べることなく生活していてかっこよかった。今の私は結局夫の力がないと何も生活ができなくって、街でも少しでも難しいことを言われると何を言っているかわからなくて、日本に戻った時に特別なスキルのない私を雇ってくれる会社があるかすら不安。少しでも彼女に近づきたかったから、逃げ出すのは辞めよう。決意して、通うことにしました。

マンハッタンの方だったら、少しは日本人いたのかな…。
そんな後悔もあったけれど、3回目・4回目と通い続けました。

作戦を立ててみた!

発表できないなら対策を練らないといけない。席は自由なので、早めに行って一番前を陣取ることに。先生に発言を拾ってもらいやすいからです。
数回通っているとなんとなく席も固定になってきて、1人親切なウクライナ人のおじさまと中国人の駐妻さんが話しかけてきてくれました。
ウクライナ人のおじさま、なんとロシア・スペイン・ウクライナ・ポルトガル・やや英語と話せる。日本語も「コンニチハ」「アリガトウ」「キンヨウビ(ハッピーフライデー!ということで知っているらしい)」くらいはわかるようで、こんなチャンスは逃しちゃいけないと満面の笑みで「wow!!」と拍手をしました。
中国人の駐妻さんは「(ほぼ全員移民なので)多分あなたと私は立場が同じ。そして中国人も受験英語は必死で覚えるんだけど、話せないの。日本と同じ」と話しかけてくれて、ビスケットをくれました。
やはりお隣の国ってなんだか親近感沸きます。
1ヵ月経つ頃には全く話せない情けないお子ちゃまが、いつも笑っている年齢不詳のジャパニーズガールへと進化しました。(感じ悪くしちゃいけないと笑顔を絶やさなかった。そしてみんな15歳だと思っていたのに34歳と言われてびっくりしていた。)
この5か国語操るおじさまが全員の通訳をしてくれたり、スペイン語→英語と通訳をして私になんとか伝えようとしてくれたり、でいよいよスペイン語チームの輪に入れたのです。

ジェントルマン君というお友達ができた

そこから、もう1人ジェントルマンなメキシカンボーイとお友達に。偶然家がとても近いということが発覚し、毎回一緒に帰ることに。なぜジェントルマンかというと…。
①スペイン語で盛り上がっていると「MIKUがわからないよ!」と言ってくれる。
②私の言いたいことをスペイン語でみんなに伝えてくれる。
③私が独りぼっちだと必ずとなりにきてくれる。
本当にジェントルマン。でも中南米の女性陣に「ジェントルマンで感動しちゃった!」と話したら、「MIKU、あれくらいメキシコでは当たり前よ。日本人は違うの?メキシコの男性はとにかく優しいの」と笑われてしまいましたが。
本当にメキシコ人がジェントルマンで日本人が違うのか…は置いておいて、こんな女子トークができるようになったことに感動です。
余談ですが、このジェントルマン君、7人兄弟の6番目で上5人はお姉さんだそうです。そりゃ優しいわけだ~

そして私が学んだこと(英語じゃない!?)

と前置きは長くなりましたが、ここからは馴染んだからこそ私がこの仲間たちに教えてもらったことを書いていきたいと思います。

グランマとの出会い

自分のことをグランマと呼んで、と話しかけてきた女性。
マリ共和国というところの出身だそうです。
すでにお子さんも結婚して、お孫ちゃんもいてグランマと自分にあだ名をつけていました。
「MIKUは学校に行ったことある?」
「日本で大学まで卒業しているけど…。」
「私は学校に行ったことがなくて。NYに住み始めて、孫に『グランマは計算もできないのね』って笑われて学校行こうと思ったの。学校がこんなに楽しいと思わなかった。私の国では女性は学校に行かなくていい、働けばいいと言われているんだ」と語ります。
老眼鏡をかけながら、いつも教材とにらめっこしています。
レッスンにはついていけないけれど、みんなでワイワイしたり、先生が黒板に色々書いたり、全て新鮮で楽しいそうです。
夢は「次回のセメスターも通うこと。このまま学校に行き続けること。今とっても幸せだからこのまま幸せが続くこと」
私は意外と働くのは好きです。頑張った成果がそのままお金に反映されて、そのお金でおいしいものを食べて、ほしい洋服が買えるから。そして勉強は嫌いです。何度授業中寝たかとか…。
なんだかとっても恥ずかしくなりました。さらにいくら働くのが好きとは言え、グランマとの労働条件は恐らく違うでしょう。
小さい頃から働き続けたグランマ。とっても明るくて、いつも休み時間は踊っています。なんとなく輪に入れない時に「MIKU~!」と話しかけてくれます。

15歳の女の子との出会い

グランマだけではありません。ほぼ全員が移民で、20歳にして家族と離れてニューヨークでアルバイトをしながら夢を追いかけている子。
子供がいて、夜勤で働き、朝はこのESLに通っている方。(いつ寝ているんだろう)
自分の国を出て流れるようにしてニューヨークにたどり着いた方。

ある日のレッスンで「どちらか選ばなきゃいけなくなった話」をしてくださいという課題がありました。
若干15歳の女の子が「ある日弟の学校から呼び出しがあった。弟が体調が悪くなったって。でもその時友達と約束していた。友達との遊びにもちろん行きたかったけど、弟のお迎えに行った」という答えを出してきました。(恐らくご両親はずっと働いているから、兄弟の面倒を見るのは自分と決まっているのだと思います。)「えらいね」と声をかけると「友達も大切だけど、何よりも弟は宝物だから。」と当たり前のように微笑む。弟を生んでくれたお父さんとお母さんが大好きで(恐らくそれ以外を聞いていて…再婚なのかと思う)こんな夫婦に憧れるから結婚がしたい、私の結婚指輪を触ってみたいというので、貸してあげたら「すごいー!」と大興奮していた普通の女の子でした。平日は恐らく通常通りの学校があると思うのですが、土曜日は小さな弟を連れて図書館のレッスンに来ます。

15歳の時、自分がこの立場だったらどうだろう。私にも2つ下の弟がいます。確かに大切な弟ですが、文句は言いそうです。「友達と遊びたかった!!!」って。

私になかったもの

この図書館にきて感じたこと。
それはみんな自分たちの「持っているもの」に焦点を当てて生活しているのだなということ。
大切な弟がいること/今学校に通えていること/そもそも仕事があること。
私の辛かったことの何倍も辛いことを乗り越えてきたから、もしかしたら自然とそんな発想になったのかもしれないし、そもそも単純にラテン系移民が多いので性格的にそうなったのかもしれないし。

私はコロナ禍小学校の閉鎖などが行われた時、お母さんたちに比べて独身で一人暮らしだったため、出社したり残業したりしないといけない状況でした。朝8時半~夜9時頃まで毎日働いて、頭では事情はわかっているけれど「出社手当もらってもいいんじゃないか?」なんてよく同僚に話していました。お休みが増えたり、在宅が増えることに文句はない。でも体調を崩してまで働いている私に手当ちょうだいよ!って。

当時の私は、「ないもの」に焦点をあてて生活していた気がします。
きっと1万円の手当もらったって、2万円・3万円と言い出したでしょう。
私に必要だったのは「あるもの」に焦点をあてて生活する気持ち。

恥ずかしいことにNYで何不自由なく生活させてもらっているのに「ないもの」ばかり見ている時があります。

育ってきた国も環境も違うから、同じように考えることは難しいかもしれない。今FinalPartyで楽しくラテンダンスを踊っている彼らには明日になればきっと色々あるんのだと思います。でも「今」はとても楽しいのだと思う。学校に通えて、仲間がいて、食べるものがあって、家があって…。
そんな大切なことを教えてくれたクラスメイト達。
私は心から大好き。

2カ月前逃げ出したかったけれど、今は離れたくないって思うのです。
諸々事情はあるから、明日から会えなくなるけれど。

「この間お箸使ってラーメン食べたよ!」(難しかったらしい。)
「お寿司(カルフォルニアロール)を海で食べたよ!」(衛生面不安…笑)
「お寿司の周りの得体の知れない黒い物体は何?!」(海苔~!!!笑)
「FinalPartyはお寿司かラーメン持ってきて!」(真夏にお寿司はNG、ラーメンは伸びるわ。)
など愉快な仲間たち。

もう1つ大切なことがあります。

彼らは決して「いい地域」には住んでいません。
もちろんニューヨークの治安は日本と違って笑いごとにはならない治安もあるし、詳しくはわからないからこそ判断基準は「貧困層が住んでいるところ」にはあまり近寄らないということになりますが。

外出先では絶対に鞄から目を離すなと言われています。
1回目のレッスン中、私は鞄を肩から下げていました。
正直、彼らを信用していなかったから。
でも今はパーティ中、椅子に置いたまま食べ物を取りに行きます。
(さすがにトイレは絶対持っていきますが)

でも彼らの住んでいる街も案内してくれたけれど、ゴミも落ちていなくてきれいだったし、夜歩くのはNGだけど、お昼は全く危険を感じなかった。

そして自分たちも決して余裕がある暮らしをしているわけではないのに「MIKUに自分の国の食べ物食べさせたくて…!」と屋台で買ってきてくれたりします。

このスパイシーな棒をマンゴーにつけて食べるらしい
おもてなしの精神がすごいので持ち寄りも豪華!
私は枝豆チップスを。

だからこそ、こんなことで判断するのは辞めたいなと強く思ったFinalPartyでした。(とはいえ、言っていることは矛盾しますが、やはりNYは危険な街です。しっかり調べて確認して観光はしないといけない。私も引き続き注意はしています。ただ貧困層が住んでいるゾーンだから危険なところなんだよねって軽々しくは言いたくないなという気持ちの問題です。うまく伝わるかわからないのですが。)

なんてぼーっと考えていたら、
「MIKU、教えてあげるから踊ろう!」と言われ、踊っています…。恥ずかしい。日本でもクラブが大嫌いな私には越えなきゃいけない壁が大きい…。
それでも最高な1日でした!

最後は仲良かった方々とハグしてお別れ!!!
私は次のセメスターはいけないのですが、「MIKUがいないと寂しい!」とまで言ってもらえました。

大げさではなく、明日からの人生が楽しくなる気がする。
もう一生会えないかもしれないけれど、心から感謝、そして大好きです。

写真とラテンダンスを踊る彼らの動画は大切な宝物。
決して設備が整っているとは言えない図書館も(トイレの鍵なかなか閉まらない、クーラー調節できず極寒。エレベーターしょっちゅう壊れる。階段のドア開かないことある。)大好きな場所。

(本当は仲間の写真を貼りたいのですが、プライバシーの問題から絶対NGと言われています。)

シークレットサンタで頂いた宝物
ESLでできた友達に誘われて移民の街、ジャクソンハイツを散歩しました!







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