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映画を書いて見ること

以前投稿した、映画「オールド・フォックス 11歳の選択」の感想文において、いわゆるアクティブ・ビューイングを試みた。

要するに注意深く作品を見て、構図やライティング、ショット、衣装・美術、登場人物、時代背景などを考えるのだ。

「オールド・フォックス」は、1回目なんばパークスシネマでメモを取らずにとりあえず楽しく見た。で、これなら書けるかもしれないと思った。台湾映画がもとより好きだし、台湾の現代史は大まかに知っているし、登場人物もそこまで多くなく、テーマがある意味身近だったからだ。

そして、2回目も同じくなんばパークスシネマで見た。レイトショーで観客は5人ほどしかおらず、それぞれ席も離れていたので、できるだけ音をたてないように、ノートにメモを取って見た。2時間ひたすら映画をノートにとりながら見ることはめちゃくちゃ大変だった。略語とか使って書いても追いつかない。手つかれた。それでも、1回目見たときに記憶していたことを大方補完できたような気がした。ショットの構図とか新たに発見したり、別の楽しさがあった。

それでnoteに感想文を書いてみたんだけど、一応公開する前に念のためもう一度見ておこうと、今度はテアトル梅田で3回目を見た。すると、2回目までに見て記憶していた内容とぜんぜん違う描写が出てきたりで驚いた。あぶねえ。例えば、物語冒頭のレストランの厨房のショットは、タイライとリャオジエが二人とも立ったまま食事をしていると思っていたのに、実際はリャオジエはめっちゃ座っていた(めっちゃ座るってなに)。あーこれやばいいきなり記憶違いはなはだしいと思いつつ、最後まで見て、記憶をさらに補完した。3回目も見ておいてよかった。

そのあと、台湾の当時の時代背景を図書館やciniで文献を調べ、監督のインタビューをパンフレットやネット記事で調べた。そして、映画分析の本をとりあえず1冊参考にしながら書いた。実家に帰ったときにその作業をしていたら、家族から「お前はなにを目指しているんだ」と言われた。本当にそう思う。

自分にとっては初めての試みだった。おおよそ作品の内容説明に近い代物になってしまった感は否めないし、まとまらなさ過ぎて<追記>とかまで書いたけど、それでも初稿よりまだましなんですゆるして。9000字こえてしまったけど愛して。

「オールド・フォックス」は、リャオジエとタイライ、シャの3名の関係性が物語の中心にあるが、実際はタイライの人生としてヤンとの記憶も重要に物語られるし、リンの苦労してきた人生も示唆されている。それぞれの登場人物が物語で重要に作用しているとは分かっているが、すべてを感想文に書くこともできない。そこが今回一番苦労した。また、別の機会にヤンやリンの女性2名の登場人物を視座に書いたら、違った書き方で面白いかもしれない。

いま、映画学の本をとりあえず読み漁っている。行きつけの個人書店MoMoBooks(大阪市西区)で値段を考えずに大量に注文したら2万円以上使っていて店主も自分もちょっと引いた。ちゃんと現金払いした。まあ、ええんです。映画館に通い始めて10年以上たって、初めて映画を分析するような目で見る試みをしているんだから、知識の投資が必要なわけです。本を読みながら、あの映画のあのショットはそういう意図があったのかあとか、映画の歴史的文脈とかいろいろ知って驚き共に吸収している★)本当は映画学をちゃんと大学で学んだほうがいいんだろうけども。

とりあえず、また映画を書いて見ることはこれからも試みたいと思う。もうちょっと字数減らして書くね。読んでね。



★)小津安二郎の作品で、人物を画面中心においたミドルショットで切り返しを何度も続ける撮影に、ものすごい違和感と一種の気持ち悪さみたいなのを感じていたんだけど、北村先生の「24フレームの映画学」で「小津の切り返し」って紹介されてて、これかーーー!!ってなった。


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