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しょうらいのゆめ

子供時代に一度は書いたであろうこの題目。

最初の記憶は幼稚園時代。
ケーキ屋さんやプリキュアが人気な中、私は東大に入ると言いふらしていた。そしてそれを聞いて喜ぶ大人たちをちょろいなと思いながら見ていたいやな子供だった。

それでも将来とは未来であり、きらきらしたものだった。

時は変わって小学校。目指したのはアナウンサー、CA、弁護士などなど。

みなさんお気づきだろうか。 この頃から将来=職業になっていることを。

恐怖体験だ。誰がこうも見事に刷り込んだのか。これでも無垢な子供時代があったのだ。純粋なことは恐ろしい。いとも簡単にこの方程式は私のなかで定義になる。

その呪縛から逃れられないまま時は経ち、
現在素敵すぎる23歳
女盛り真っ最中なのだけれど

なぜ医師になりたいと思ったの、は
わたしをとても困らせる質問だ。

いやお父さん医者だけど一緒に住んだ記憶ないし数えるくらいしか会ったことないし変人で尊敬できないし、むしろ私自身は人の死に直面したことすらない。

おらもうだめばい(おれはもうだめだの熊本県ver.)と言いながら10年ほど経過したのが私のおじいちゃんで。
車椅子だから家から出れん、頭がおかしくなると言いながら私より記憶力のいいおばあちゃん。

わたしの家には病気は常にあり、自然に受容する環境があった。
延命は望まないとおばあちゃんは言う。

私には医師を目指すきっかけがなかった。

社会的に認められていて、お給料も高くて、やりがいもある。わたしのイメージはそんな感じ。

実習生になった今もあまり変わらず、よりリアルになったくらい。女だから手に職つけなさいみたいなことも高校生のときに言われた気がする。

ぶっちゃけ勉強好きだったし、倒れたり号泣しながらも勉強してたし、成績良いと楽しいしでなんやかんやで入ってしまった。合格のときの喜びは、もう勉強しなくていいことへの安堵だった。

そして入った後、大げさではなく生きる目的を失った。

バイト3つかけもちしてそのお金で旅行いって呑んでつぶれてその合間に勉強して、あー私なんのために生きてるんだろう、価値創造してるっけってなってしまった。

人間関係も失敗しまくって、1番辛い時期だった。

崇高な意志をもって入ってきた人もいる。
そちら側には私は行けない。
とにかく医師になれればいいから学生生活を楽しむ。
一度疑問を持ってしまった以上、そちら側にも戻れない。

狭間はとても苦しかった。

youthに入ったり、ミュージカルをはじめたり、医療系学生の中でも同じように悩む人と出会ったり。

私の狭間はうまりつつある。

それと同時に、焦る。

結局わたしは、しょうらいのゆめを考えていたときから変わっていない。

付け焼き刃の知識と薄っぺらい経験が増えたぶん、自分だけの想いを聞くのはもっと難しくなった。

こんな状態で休学を許してくれる母は
めちゃくちゃ凄いと思うけど
それでも何も決められない自分に
さすがにお怒りのLINEが飛んで来る。

口では勝てないからと言って、毎回しっかり考えた形跡のあるLINEを送ってくれる。

愛の溢れる人。この人を悲しませることだけはしたくないのに

結果今は悲しませていると思う。

いつかの将来は現在になり、過去になる。
どう切り取るかは自分次第。

あなたの将来の夢はなんですか。

お気持ちとっても嬉しいです!