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人の人生と関わる仕事

夜勤が明けるまであと1時間。そんな時に「話したいことがある」と声をかけて来た女の子。周りへの気遣いがたくさん出来る優しい子だけど、辛いことがあると自分の殻に閉じこもってなかなか出てこない、常に自分と闘っている子。いつも私は殻に閉じこもる彼女に対して、「無理には聞かないけど、話してくれた時にはいつでも受け止める準備は出来てるよ」と伝え続けていた。そんな彼女がせっかく話そうとしてくれた気持ちを無下には出来ないと思い、就業時間をとっくに過ぎてはいたが話を聞いた。


私は、今まで周りを信用できずに話せなかった彼女がようやく話そうとしてくれたことが心の底から嬉しかった。
これまで伝え続けていたことが伝わったと言えば過信しすぎだけれど、伝え続けていたことは無駄ではなかったのかなと思えた。


「一定の距離を保ちながら関係性を築く」

これはどの仕事でも共通することかもしれない。お互いに仕事上の関係で接している他の看護師や医師、コメディカルなどの多職種間ではこれが当たり前に行われている。しかし自分にとっては仕事であっても、仕事の対象である患者さんは仕事をしているわけではない「生身の人間」であり、これがどれほど難しいことかを痛感している。距離を取りすぎると信頼関係を築くことが難しいし、一歩でも踏み込みすぎると治療的な関係ではなくなり、踏み外すと依存的な関係となってしまう。実際にこれまで先輩たちが患者さんに取り込まれるのを何度も見てきた。取り込まれている当事者は気づかないけれど、「自分しかその患者さんを落ち着かせることができない」「自分だけは信用されている」と患者さんとの関係性を信じきっていた。たしかに看護師だって人間だからそうなるのも不思議ではない。

私は看護師になった時から、看護師と患者さんという関係である前に、同じ1人の人間同士だということを大切にしたいと考えていた。それが結果として患者さんを尊重して寄り添うこと、患者さんとの信頼関係を築くことに繋がると思ったから。もちろん全ての患者さんに対してではなく、治療的な意味合いがあると判断した場合のみそれを行うことが必要だと考えている。


人によっては「看護師としての範疇を超えている」「ただの一看護師が偽善者ぶっている」と思うかもしれない。それでも看護師としてだけではなく、1人の人間として彼女に対して出てきた言葉は、私は彼女のことを大事に思っていること、心から力になりたいと思っているということ。伝えたかった言葉が本当に伝わったかは分からないし、その言葉で彼女が救われて欲しいなんて傲慢なことは思わないけど、ただ自分の事を大事に思っている人間が確実に存在していることを知っていてほしいし、人を信頼することも案外悪くないなと、彼女のこの先長い人生で人と信頼関係を築くことへの抵抗が少なくなれば良いと思った。

結果を言えば、この後彼女は私に対して分厚い手紙を何枚も書いて渡してきたりと熱烈に関わりを求めてきた。少し踏み込み過ぎたことを言ってしまったかもしれないと思ったり、自分の言葉一つで人の感じ方や関係性そのものが良くも悪くも大きく変化してしまうことに恐ろしさも感じた。大袈裟かもしれないけど、それだけ人の人生と密接に関わる仕事だということ。あの言葉が適切だったかどうかは今でも分からない。まだ看護師4年目の私が看護を語る立場ではないかもしれないし、いつまでこの仕事を続けているかは分からないけど、それでもこの正解のない責任だらけで重圧まみれの世界が嫌いじゃないし、これから色んな人の人生を知って関わっていく経験を重ねることで、自分なりの答えを見つけていけたらと思う。

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