AI が発達してなんでもしてくれる時代において
AI が発達してなんでもしてくれる時代において、英語を学習する必要ってそもそもあるの?ってことになります。
というか、なってます。
イーロン・マスク氏らが AI開発の一時停止を求めた書簡に署名をして話題になっていますけれども、止まることはないでしょう、というのは誰もが予測しているのでは…。
AI は logical(論理的)で consistent(一貫している)です。
そして人間の「揺らぎ」も取り入れられるようになっていたりもしますよね。
こうなると、人間にしかできないことはもはや存在しないの?!と不安に駆られたりしますが、やはり人間が発揮すべきは「気持ち」なのでしょうね。
気持ち。
英語が好きだったら、その気持ちを大事に。
英語が嫌いだったら、その気持ちの「熱量」の意味を大事に。
英語は流通量が圧倒的に多いので、ツールもあっという間に発達します。
アプリをいくつか駆使すれば、英語をまあ読めるし、英語を書いてくれるし、スマホが英語でやり取りしてくれる。
要件は済みます。
残るは、実感がどこまで伴うコミュニケーションであるか否か、ってことなのでしょう。
それを欲しいと思うか否かは良し悪しではないです。
AI に何を任せて、何を人間である自分がしたいか。
根本的な問いをぶつけられる時代になりましたね。
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