そして今、可能性の花が咲き誇る
私が実現したい社会
それは一体どんなものだろうか。
先日とある面談で、
仕事を通して、社会にどういう影響を与えたいか
と聞かれ、氏名や生年月日を答えるかのように、「ずっと前からわかっている」と言わんばかりの返答がするすると口から出ていったが、言い終えたあとには、戸惑いが心を満たしていた。
今の回答は実際、どれくらい私の核心を突いていたのだろうか。
この問いに考えを巡らせるのは、もしかしたら、新卒採用面接以来かもしれない。
毎日のように働いているのに、しっくりくる表現を持ち合わせていないことに、驚きにも近い戸惑いが湧き出て、後を引いた。
上手く答えられた気のしない質問は、往々にして記憶に居座る。
そんなわけで、この問いは私の頭の中にしばし滞在し、答えが芽吹くのを待つこととなる。
驚きを鎮め、戸惑いを振り落とし、今までコーチングを通して整理してきた内なる言葉をかき集めたり、書き殴ったメモを見返したりして、自分の考えの輪郭を掴みにいく。
私が実現したい社会
人に焦点を当てるなら、それはこうだ。
人々が人生に希望を見出し、自分の可能性を信じて、人生を謳歌している(社会)
人生明るいときもあれば、暗いときもある。
暗いときは、困難、試練、波乱、絶望、苛立ち ー そんな言葉たちを看板に掲げたくなる、出来れば避けて通りたいような時間だ。
ただ実際、それは避けては通れないから、辛さや悲しさ、苦しさの中にある時も、その闇にすっぽり包まれてしまうのではなく、光を見出して、そっちに向かって、人生を創造していく人が増えていったら嬉しいと思う。
闇の中でめげそうになることがあるから
諦めそうになることがあるから
泣き喚きたいけれど、声が出ないこともあるから
私は、そんなときに手を差し伸べ、光を見つけるサポートが出来る人でありたい、そんな風にも思う。
誰でも可能性を秘めていて、輝く個性がある
それを思いっきり表現し、豊かな人生を歩んでほしい
こんな風に思うのはなぜか。
少し個人的な話になるけれど、私の原体験についても綴っておきたいと思う。
私は子供の頃に親が二度離婚し、片親の下で育った。
離婚と一口に言っても、それに付随する感情は人それぞれだが、私は悲しく寂しい思いをし、先に書いた想いはこれに起因すると思っている。
今でこそ珍しくないが、私が10代前半の頃、身近で離婚した親の話はあまり聞かなかった。それゆえ、必要以上に悲劇的な気分がしたし、この人生からの挑戦に対処する方法を知る由もなかった。
また、私は我慢をすることと、頑張ることが得意な「いい子」だった。(選手権でもあったら、表彰台を飾っていたと思う。)
だから、喚き散らすわけでも、連日質問を浴びせ親を困らせるわけでもなく、新しい生活に順応した。
けれど、そんな余所行きの装いとは裏腹に、悲しみや寂しさは影のようについてまわった。
今では言葉になるけれど、当時は自分がどう感じていたのかを自覚し、味わい、消化する術を持ち合わせてはいなかった。
だから、悲しいことも、自分の望みと異なることもたくさん起きたのに、それらは未消化のまま、私の人生の所与の条件となり、悲しい気持ちも悲壮感も、全部心の奥に詰め込んだまま大人になった。
本当につい最近まで、ずっと心に穴が空いていた。誰かが傍にいるかいないかに関わらず、どこかで温まりきらない心があった。
悲しんでいる自分の存在を見つけ、その感情を味わい、消化するまで、毎日痛みを感じるわけではないけれど、悲しみはいつも、私の人生のどこかに影を落とし、どこかで寂しさを抱えていた。
私はそんな体験から、同じような思いをしている人には手を差し伸べられる人でありたいと思うようになり、また、彼らの心が少しでも軽くなることを強く願うようになった。
とはいえ、青春時代が真っ暗闇だったかというと決してそんなことはない。
これまでに私の人生には、喜びも楽しみも充実感も同じくらい訪れて、まだまだ道半ばだけれど、愛しく思える人生を歩んで来ることができた。
学生時代は、クラスメイトや友人はもちろん、学校の先生にも本当に恵まれた。私は積極的に発言するタイプではなかったが、いつも向こうから声をかけてくれ、輪の中に引っ張ってくれる友人の存在があり、彼らとの思い出は大切な宝物だ。
やりたいことも結構やってきた方だと思う。
小さい頃から英語が好きで、海外への憧れが強かったが、高校・大学生の時にはアメリカへ留学し、社会人になってからはタイで働き、(外国人と恋にも落ちて)、その間に近隣数10カ国にも足を運び、異国文化を肌で感じることができた。
辛いことや悲しいことに押し潰されたままだなんてまっぴらごめんだから、だからこそ光を見い出だし、人生を楽しむ
私はそういう姿勢で人生を歩みたいし、そんな風に活力を取り戻す人が増えたら良いなと心から思う。
人々が人生に希望を見出し、自分の可能性を信じて、人生を謳歌している(社会)
私の人生もまた、この理想に共鳴する。
今までの体験をバネにして、
強くしなやかに、人生を望む方向に歩んでいく
自分が実現したい社会に思いを馳せた時、私自身の理想のあり方も、より鮮明に浮かび上がってきた。
良質な問いはいつも、内なる本心へと導いてくれる。
だから私は、彼らに耳を傾けずにはいられない。
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