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旅立ち

ばーちゃんが亡くなりました。

1年ほど前に救急搬送され、大動脈瘤と診断されました。
体調が良くなったら施設へ。
悪くなったら病院へ戻るという生活をしていました。

母子家庭で育った私にとって、ばーちゃんは母代わりであり、時に父代わりでもありました。

花が好きで、珍しい品種の苗を畑に植えたり、晩年は押し花や詩吟を習い、楽しんで暮らしていました。

体調が落ち着いて施設に入ってからは、書道を習い始めたそうです。最後まで好奇心旺盛で、趣味の多い人でした。

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ばーちゃんに会いに

私は前の投稿にも書いた通り、パニック障害です。
病気になってから約3年、車で30分ほどの実家にすら帰れていませんでした。
〖途中でパニックになったらどうしよう〗
という予期不安があるんです。

それでも。
〖後悔だけはしたくない〗
その強い気持ちで、ばーちゃんに会いに行きました。コロナで面会ができなかった時期もあったけど、3回くらい行ったかな……

最後に会ったのは亡くなる2日前。
37歳とか、恥ずかしいとか、迷惑かけるかなとか。
全部取っ払って、ばあちゃんと一緒に寝ました。
バックハグする形で。

コロナ対策とかもあっただろうけど、見ないフリしてくれた看護師さんたち、ありがとうございました。

ばーちゃんの呼吸、心臓の音、あったかさ。
全部感じることができました。


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またね

訃報を聞き、真っ先に庭に咲いている花やユーカリの葉を摘んで小さなブーケにしました。

花が大好きなばーちゃんに、百合とか供養花以外の花を贈りたかったんです。
最後、棺に入れました。

2日前とは違う、氷のように冷たい頬を何度も何度もなでて、
『よーがんばったね。』
『ありがとう。』
『またね。』
と声をかけて送り出しました。


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生きていく

葬儀の翌日は最終戦でした。
チケットは買っていたけど、数日寝れていなかったこともあって迷いました。

不謹慎かなあとも思ったし。

でも、家でしんみりしてるとばーちゃんに怒られそうで。
後半途中から行ってきました。

負けてしまったけど、やっぱりうちのスタジアムは美しくて。メソメソせんでしっかり生きていかないかんな、って思いました。生きてたらこんな景色が見れるんやけん!

サガン鳥栖って、私にとって生きる原動力なんだって改めて思いました。

ちなみに、救急搬送された時はコロナの爆発的拡大期で、かなりたらい回しにされたそうです。
そんな中受け入れて下さったのはサガン鳥栖のスポンサーである病院さんでした。本当に感謝しかないです。


53歳差の双子
とよく母に言われました。
それくらいばーちゃんと私は性格が似ているらしいです。
ばーちゃんもいつか、『あんたとが一番気の合うごたっ。』って言っていました。
私なりに生きていたら、ばーちゃんは喜んでくれるんやないかな。気持ち、わかってくれると思う。


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同胞の優しさ

私が朝鮮学校の支援をしていることは前回書きました。
その支援に対して、ぜひお礼をと言って下さる同胞の方(在日コリアンの方)がいらっしゃいました。

最終戦、行くから、と。

タイミングが合わずにお会いできず、本当に申し訳なかったです……
前日までの葬儀の疲れか、当日起きたのが昼の12時で…… ごめんなさい。

でも、謝罪の電話をしたら、
『こっち来る時は必ず連絡して。歓迎します。』
『おいでおいで!』
と言って頂きました。

佐賀のお土産を用意していたけど渡せなかったから、先方に送りました。

その荷物が届いた時も、
『たくさん支援してもらってね。サガン鳥栖の一ファンだろうけど、私らは家族やと思ってるから。こっちに来る時は必ず、必ず連絡してね。』
『がんばりすぎたらダメよ。』
『細くでも、長ーく付き合っていきましょうね。』

と言って頂きました。

悲しみの涙は枯れ果てたはずやったけど、嬉し涙、残っとった……
途中で涙が溢れて『예. . . . . 예.』(はい。……はい。)しか言えんかったです。

私が朝鮮学校、同胞のみなさんとつながっていたいと思うのは、これなんです。
もうとにかく温かい。
心、というより魂揺さぶられます。

全く会ったこともない人間に、〖家族〗って言えます?

嬉しくて、ありがたくて、温かくて。
懐に飛び込ませて下さいーーー😭😭😭‼️‼️
ってなっちゃいます。
もうこんなん言われたら飛び込みますよ😭
ただ……
明輝さんとかりゃんたんとかパギさんとか。
カンヘンさん、ホガンくんあたり実践したら秒で吹っ飛ばされるやつ🤣🤣

ソーシャルディスタンスね。笑

でも選手じゃない同胞だったらOK……??←
ちょっとね、、
いろいろあって頭ぴよぴよなんで、飛び込まれたらソッコーで蹴り飛ばすなりパッチギかますなりして構いませんのでね。笑

とりあえず自分の感情に素直に、飛び込みます✋

自分の感情に素直に。
ばーちゃんもそうでした。

ばーちゃん、命のバトン、つないでくれてありがとう。
亡くなった日は快晴☀️で、この日を選んだんだなって思ったよ。
でもお葬式の日は雨だった。
お通夜のあと、娘が『ひいばあともっと遊びたかった』と、ひいばあにもらったお手玉を手に、涙をいっぱい浮かべてたから後悔したんかな?

ちゃんとひいばあの生きざま、ひい孫は見てきたよ。
あなたのひい孫は、あなたのように優しく、たくましく、賢く育ってくれています。

ありがとう。

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