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私だけの特別な臨海学校の思い出

私は小学校2年生のある日、突然けいれん発作を起こして病院に運ばれ、「てんかん」の診断をされました。

その日から、夏の体育のプールの授業はいつも見学。でも不思議と私のことをいじめる生徒はいませんでした。

小学校時代の大きなイベントの一つである5年生の時の臨海学校。北関東の海なし県に住んでいた私の学校の行先は新潟県の寺泊。他の生徒たちは、この日に向けてとてもはしゃいでいましたが、私はドクターストップでこの臨海学校に行くことが出来ませんでした。プールですらNGなのに、海はもっとNGですからね。

いざ、臨海学校の日が来ました。「みんな楽しい時間を過ごしているだろうな」と思う一方で、「仕方ない」という思いが混同する数日間でした。

最終日の夜のこと。
小学校4年生の時の担任である前田先生も同行していたのか、臨海学校の帰りに私の家を訪ねてきたのです。大きくて綺麗な貝殻で出来た置物を携えて。
「みほは臨海学校に行けなかったら、お土産を買ってきたよ」と。

その年の担任でないのに、ずっと担任だった4年生の時から気に掛けてくれていたんだと思います。

その貝殻の置物は私の宝物です。

とても熱心な先生で、「アタックプリント(通称アタプリ)」というお手製の宿題を作っていました。
毎日、手書きで作った算数の宿題をわら半紙にコピーし、帰りにクラスの生徒に渡す。ファイルに追加されたその宿題を翌朝回収し、夕方までに採点して、また帰りに新しい宿題とそれぞれのファイルを返すという日々でした。

小学生の時は苦痛で仕方なかった。でも、いま考えると、毎日宿題を作って採点してを繰り返してくれていたなんて、本当に素晴らしい先生だったと思います。

学校でいじめが起きないように、クラスの悪ガキには本人たちも笑い飛ばせるような方法で注意していた記憶もよみがえります。
私がプールの授業を毎回見学していたのに、いじめられずに過ごせたのも、その先生が配慮してくれていたのかもしれません。

小学校時代を振り返ると、いつも「前田先生」を思い出します。
あれから何十年も経ちましたが、前田先生がご健在であると良いなと思います。大人になってからお会いしていないので、いつかお会いして、お礼の言葉を伝えられたら良いなと思っています。

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