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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと Prologue

プロローグ

2022年、梅雨入りとともに、note、始めました。

はじめまして! 藤井美保と申します。
プロフィールはご覧になっての通りで、
現在、音楽を中心としたライター稼業です。
noteを始めたのには、理由があります。

この1月18日に、父が94歳で永眠いたしました。
ケアハウスにてお昼のサンドイッチを自分の手で食べ、自室に戻ってお昼寝している間に眠るように。
大往生と言っていいと思います。
母は2008年に76歳で旅立っています。
今頃二人で、空の上で仲良く詩吟をうなっているのではないかなと思います。

私の介護経験は、よく自転車で買い物をしていた母が、
「乗ってるとなんか左に寄って行っちゃう」と言い出した1998年あたりから徐々に始まりました。
そうなってしまうのは、小さな脳梗塞ができていたためでした。

そこから母は、血液サラサラの薬を飲み始めたのですが、
それが原因で肝臓を悪くして入院。
その後、肺塞栓や脳梗塞で度々倒れて入院。
私は30代後半で変化を求めて車の免許を取ったのですが、
それはちょうど、母が体調を著しく崩していた時期と重なり、
足しげく病院その他に付き合うのにとても役立ちました。

もちろん、当時は父も本当にまめまめしく動いてくれていました。
いわゆる老老介護。それがたたって2004年には父も脳出血で一時期入院。
でも、すぐに復活して、夕食はヘルパーさん、お昼はお弁当を頼みながら、
ずっと自宅で母のお世話をしてくれていたんです。

若い頃、「ああ、いつかは私にも親の介護と向き合う日々が来るんだろうな」なんて思ってたけど、私の場合、それはいついつから、ではなく、
本当に気づけば日常になっていた、という感じでした。
日々ライターとしてそれなりに忙しく仕事をしながら、
週に1度のペースで実家に行き、
父母のサポートをするうちに、私も介護を巡る様々なことに詳しくなりました。
もちろん、悩みもいっぱいありました。

「金木犀がいい匂い」と思ったのがきっかけでアメブロを始めたのは、
ちょうどその頃。
仕事とは関係なく、日々のことを書くのは、
書く練習にもなるかなと思い立ちました。
それは奇しくも、母が亡くなり、父が独居生活をするようになった頃。
だから、父とのやりとりもいっぱい記すようになりました。
2014年以降はfacebookにシフトしましたが、父のことを書くことで、
自分の介護における悩みや混乱を一旦整理することができた。
それは本当に心の健康を保つ助けとなりました。

実はある時期まで、
子育てには未来があって、聞いてくれたり助けてくれる人はたくさんいるけど、
介護には未来がないから人にはあまり話せないと思っていました。
でも、父や母や介護に関わる人々から教えられることが多く、
それを通して自分を見つめ直すこともできた。
これは確実に、少なくとも私の未来にはつながっていると思えたんです。
だから、ありのままを書いてきました。

父が亡くなったときは、眠るように逝ってくれてよかった、と思ったし、
その後もしばらくは、割とスッキリとした気持ちでいたつもりでした。
父に時間をもらったな。これからはそれを大切にしていかなきゃと思っていました。

ところが、コロナ禍の空白のしんどさもあるせいか、日を追うごとに、
いわゆる五月病のような鬱々とした毎日が続くようになりました。
たぶん、燃え尽き症候群のようなっていたんだと思います。

懐かしさに浸るつもりは一切なかったのですが、
次に進む前に、一度父と一緒に辿った道を自分なりに検証してみたくなり、
アメブロやfacebookの父に関する自分の投稿を全部読み返しました。
そしたら、「へぇ、そんなことが!」と感心するような出来事や、
思わず笑い転げたくなるようなやりとりがいっぱいあったんです。
もともとアメブロやfacebookへの投稿は、
ライターとしての「伝える練習」のつもりでもあったので、
自分で言うのもおこがましいのですが、ちゃんと書いてるなぁと。

音楽ネタや別のネタが混在するものも時折ありましたが、
だったらそれを父関連に特化した「リミックス」にして、
最初から最後まで記録としてnoteに収録してみたらどうかなと思い立ちました。
もしかしたら、読みたいと思う人もいるかもしれない。

前述のように父は脳出血で一時倒れ、右の手や足がほんの少しだけ動かしにくくなりましたが、頭はとても元気でした。
でも、圧迫骨折を起こしてからは自宅での独居が難しくなった。
そこから、老健施設、そして、ケアハウスでの暮らしが始まり、
そこが終の住処となりました。
だから、父も私も、特に劇的な何かですごく苦労したわけではありません。

そして、私一人で父のサポートをしていたわけでもありません。
義務になるのが嫌なので、お互いあえて役割分担を決めてなかったけど、
弟家族もまた私とは別ベクトルで父と向き合ってくれていました。
アメブロやfacebookで、自分以外のことを根掘り葉掘り書くのは、
自分のメディア・リテラシーではNGなので、
その登場は最小限となっていますが。

そんなこんなで、「父と娘の珍介護道中(2010~2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと」を少しずつアップしていこうと思います。
今回はそのプロローグ。
ざっと見てみたところ、トータルで78,000字くらいかな。
小見出しで33ほどに分けて、一回の量は2,000~4,000字くらいになる予定です。

基本、記したときのママ。
オリジナルはアメブロとfacebookに存在するので、noteでは写真はナシか、
あるいは、使っても1、2点程度で展開していこうかなと思ってます。
音楽ネタ等は省いているので、全部を読んでみたいという奇特な方は、
オリジナルのほうをご覧になっていただければいいかなと。

noteはフツーどう使うのかとか、
改行とか、見せ方とか、全然わからないまま、とにかく始めます。
読みにくいこともあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします!


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