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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP33

エピソード33
会いたい人への気持ちは最期の日々まで

2021-09-30

お彼岸に行けなかったので、今日は父のご機嫌うかがいついでにお墓参り。
父との面会はいつも金曜日だけど、明日は台風だから前倒し。
ま、父はもうあまり日にちや曜日の感覚がなく、夢の中に住む人のようになのだけどね。でも、今日は朝出入りの床屋さんに行って髪がきれいになってました。
「床屋さんがあったし、美保ちゃんはくるし、お昼のあとはお風呂もあるし、今日はやることがいっぱい」と言うてはりました。忙しいのはいいことだ。

「お彼岸にお参りに行きたいんだよ」と電話でキレ気味に言ってたことは、もうすっかり忘れてるみたい。
してあげたくてもできないことが多くてモヤモヤしているところへ、父から突拍子もない頑固な電話があることがボディブロウのようにきている今日この頃。
忘れてくれることは実にありがたいのだ。

だから私も忘れて気分転換しよっと。
あ、そうそう、昨日は新生姜と油揚げの炊き込みご飯作った。
っていっても、新生姜はさっと湯にくぐらせて炊き上がりに入れて蒸らしただけだけど。爽やかな美味しさだった。

2021-11-12

暮れに満94を迎える父。夏くらいからガクンと認識する力が下がってしまった。会いに行っても2日後には「最近ちっとも来ないけど・・・たまには電話ください」と電話がかかってくる。
最初は私も笑ってたけど、これが毎日のようになり、しかも電話だとコミュニケーションが難しい。
どうにかしてあげたいけどどうもできないことが多く、いつしかそれがプレッシャーになって、ケータイが鳴るたびにビクッとするように。

いちばん胸が苦しいのは、父の声が最近いつも楽しそうじゃないってこと。
いろんな不安を言葉にできなくて混乱してるんだろうなと。これ、思うだけでかなりのボディブロウ。
コロナで面会がままならないだけじゃなく、ケアハウス内のイベントや小旅行、ちょっとした外出などもなくなり、入所者同士さえ気軽にに話せない。
みなさんもいろいろ歯車がくるってしまってるようだ。

父よりちょい下の顔見知りのおばさまがたまたまロビーに座っていらしたので、「ご無沙汰してます」とご挨拶したら、「
みんな家族に会えなくておかしくなってきているんですよ。私も先日ある方から見に覚えのないことで、夜中に怒鳴り込まれて大変でした。その方が去るまで、私は一言も言わずに我慢してました」と、思わず悩みを話された。うーむ。

父は日にちや時間の感覚がほぼなくなり、あんなに几帳面に書いていた日記も全く書かなくなった。
ちょっとした妄想も出てきて、先日は「みほちゃんが階段から落ちて入院した」と弟に話したらしく、弟から「そんなわけないよね」と一応確認の電話がきた。
「お父さん、ヘンな夢を見たんだよ。私はピンピンしてるよ」と連絡したら、
「ああ、夢だったのかぁ」と。
ま、弟や私など家族のことはわかるので、それだけでもありがたいけどね。

で、今日は、父が「お昼を一緒に食べよう。12時半頃くればいいじゃないか」というので(本人は言ったことさえ忘れていたが)、
くら寿司アプリで父が食べられそうかつ美味しそうなのを見繕って、開店と同時にピックアップ&ゴー。
部屋食を許されたので、いつもより少しゆっくり和みながら顔を見て話もできた。

そうすると、すごくよくわかることもある。
「この美味しいのはどこのお寿司屋さん?」などという会話も出た。
帆立と穴子と卵焼きを気に入った模様。
「美味しかった。来てくれてありがとう」と笑顔にもなりホッ。
でも、次の瞬間、「みんなとの挨拶はどうするんだろう?」と謎のワードが。
いろいろ聞いていくと、それはお正月のことらしい。
「お父さん、それは来年になったらね。今日は11月12日でまだ今年だよ」と言ったら、「そうか、まだことしか」とすごく可笑しそうに笑ってた。
「今日はいい夢を見てね」と言ってちょっとだけスッキリした気持ちで帰宅。

とにかく不意にかかってくる電話の話題が常に突拍子もないので、まともに受けちゃう私はいつもアワアワと感情が揺さぶられてしまう。
相変わらず血中酸素量も酸素吸入器なしではすごく低いので心配は尽きない。
でも、こうやって会って、今日みたいに笑顔になってくれると、それだけでパーッと嬉しくなる。
このジェットコースター感覚、究極のエンターテインメントだね。

2021-11-26

2週間ぶりの父の面会。少し緩和され、今日は部屋で。
まず日付を尋ねると「11月26日」と答えるではあーりませんか。合ってる。
「相撲を見てるからね」と。なるほど。
私は見てないので、「白鵬がやめて、今、横綱誰?」と聞くと、「うーん、漢字だからね、わからない。でも、けっこう面白いよ」と言ってました。

もういいかなと思っていた年賀状(毎年頼まれて父の名前で出している)の話を、もしかしたら何か刺激になるかもと思って振ると、
「お願いします。出さないと生きてるかどうかわからないからね」と。
それがきっかけでいろんな人のことを思い出したらしく、
「お父さんの友だちはみんなもう死んじゃった」と言いながら、
いつしか話は、一級建築士の父が専務として一緒にきりもりしていた小さな工務店の社長のことに。

この社長さんはとても明るくて面白いおじさんで、
私も小さい頃から可愛がってもらった。
70歳にもならない頃に突然倒れてほどなく亡くなったのだけど、「その最期にいっぱい話したいことがあったのに叶わなくて悲しかった」みたいなことを父が涙目で話すので、「やだ、お父さん、私ももらい泣きしちゃう」と鼻グジュグジュ。

それを皮切りに、何年か前、自分の最期がそう遠くないと知って会いに来てくれた従兄弟に、すれ違いで会えなかった話(確かにそういうことがあった)なども出てきて、ああ、「会いたい」という気持ちって、人にとっていちばん大切なもので、それが叶わなかった記憶はずっと残るんだな、悲しいけどあったかいなと思って、帰り道の東名でひとり号泣してしまいました。

帰宅したら、うちの玄関付近にこの1週間ほどずっといたカマキリが力尽きてた。たぶん何世代もこの庭に住んでる。
土に帰してあげましょう。

2022-01-03

大磯でのお年始はなくなったので、昨日は父に新年の挨拶に。
体調がよかったようで「明けましておめでとうございます。今年も元気でいきましょう」となかなか張りのある声。
来ていた年賀状を1枚1枚読み聞かせたら、一人ひとり思い出して、
「この人は若い威勢のいい大工さんだった」とか「この人はいい社長さんなんだ」とかコメント。
やっぱり仕事に関わることはよく憶えてるんだね。

ひとしきり思い出に浸ったあと「ああ長く生きたもんだな」と言うので、
「そうよ、すごいよ。で、いくつになったの?」と尋ねると「85歳」と(暮れのお誕生日のときには105歳と言ってた)。正解は94歳。
私たちのあと弟家族も挨拶に行き、とても元気にしてた様子。
弟家族とはお墓参りで合流して、せっかくだからファミレスでお喋りも。
みんな笑顔のいいお正月でした。

2022-01-15

昨日は2週間ぶりに父の面会。
往路iPadのときと同じようにiPhoneをBluetoothで繋いで音楽聴いてたんだけど、いきなりプルルルと鳴って、見ればNAVI画面に電話のマーク。
ちょっと慌てつつ、ハンドルにあった📞マークをこわごわ押してみたら、
電話をかけてきた父とハンズフリーで話せた。
それするには何か設定が必要だと思っていたので、いきなりできてめっちゃ感動。ま、こんなことみんなフツーにやってるんだろうけどね。

到着して、父に、「携帯を新しくしたら、運転中でもハンドル握ったまま電話ができたよ」と話したら、
びっくりした顔で「便利な世の中になったね~。そうじゃないと物が売れないんだね」と。その通りでございます。
机にお正月の可愛い写真(ケアハウスが初詣に行けない入所者さんたちのためにお手製の神社を作ってくださったようです)があったので、
「これってお正月に撮ったの?」と写真を見せながら聞いたら、これに関しては初めて見るような表情で、「そうだったかなぁ」と言うてはりました。
おみくじらしきもの持ってVサインまでしてるのにね。とにかく元気なのが一番。

ケアハウスでの最後のショットは
Vサイン

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