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想像の上をいくものとの出会い

今朝のyujiさんの記事(山羊座の人向けに山羊座のyujiさんが描いている有料記事です)にあった、30年ぐらい前になにしてたかっていう記事を見て、私の場合はがっつり妊娠~出産後にはまっていて。

それが再来している?
まあ、もう一度出産はもう無理だから、じゃああの時期何していたんだろうと振り返ってみました。

まず、出産前の時期。

いろいろ我慢してた。

両方のジジババにとって初孫だったのもあり、とにかく大事に大事にって言われ、誘われたヨットレースに出場するのも断念し。。。

とはいえ、今ヨット熱は再燃してないからヨットの再チャレンジが来ているわけではない。(あ、でもたまたま、昔のヨット仲間とつながっている人と出会って話す機会はあったなあ。。。)

で、出産後はというと、もうこの人生で一番幸せな時間だったと言えるかな。夜ぜんぜん寝てくれなくてそりゃもう大変だったけれど、でも、他に代えがたい大切で愛おしい存在に人生で初めて出会った幸せ。

この体験を今、再体験しているとしたら、どういうことなのかなと思うに。

産もうとしているのかな。

今、すごい真ん中の場所にいる。beforeとafterの真ん中の混沌とした時期。新しい仕事の体制、仕組み、仲間。そうしたものが少しずつ集まり始めている。今までの自転車操業じゃない仕事のやり方を形にしようとしている。思う通りに行かないことが多くて、自分ではどうにもならない。

赤ちゃんがお腹にいるときというのは、楽しみなんだけれど、大切に思ってはいるのだけれど、やっぱり生まれてくるのがなんなのかが本当には分かっていない。だから、制約がかかって我慢しなくちゃいけないことは「なんでだよ!」って思ったりする。

これって、生まれてくるのは自分の子であり人間だってことはわかっているけれど、それがどんな子なのかが具体的にわかっていないし、その子が生まれたら自分がどんなに幸せなのかがわかっていないから、そんな風に思ってしまうわけ。

でも生まれてきた顔を見た瞬間、そんな我慢とか制約とかどうでもよくなる。そんなものをはるかにしのぐ幸せのかたまりの存在を抱けるなら。

同じことを今体験しているのだとしたら、今の混沌や制約やもどかしさ、苦しさなんかは全部、生まれる前の状態と同じ。なにかが生まれると思って耐えているけれど、具体的にそれがどんなに素敵なものかは分かっていない。だからもどかしかったりつらかったりする。

でも生まれたら、世界中が鐘を慣らして祝福しているように感じる。そのぐらい幸せになる。

お腹が大きくなってきて、重くて、横向きにしか寝れなくて、腰痛くて、つわりが終わったと思ったら今度は体重制限。暑い中を病院通い。

それもこれも、1万倍の大きさで報われる。

当たっているかはわからないけど、そういうことにしました。私がそういうことに決めれば、そういうことになる。

私の再チャレンジは「産む」になりそうです。


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