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才能を好きなことに活かし、ありのままの自分で収入を得て生きる

才能を好きなことに活かし、ありのままの自分で収入を得て生きる。

そんなことが可能なんだと人が気づき、やり始めることが普通になった。20年前はまだ、社会的にはそんなことは夢物語で、超天才にしか許されないことと思われていた。

インターネットが無料で使えるようになり、SNSが普及してその常識はひっくりかえった。

どんな凡人にもチャンスはある。

はず。

なので今度は自分の好きなことをしよう、という風潮で、そういう本だけでなく、TVで放映されるドラマやアニメなんかのストーリーやキャラも、それを正しい生き方とする文化がもう出来上がったと言える。

でも実際は、才能を活かしてできる好きな事が見つかったとして、それを収入にできるかどうかで挫折する人が多い。

だからそれを収入にするための方法を教えるビジネスが今度は普及する。起業塾とか、SNS集客とか。そこにいって「あなたのビジネスを回すには、このメディアでこういう発信を毎日しなさい!」的なことを言われる。

あるいはDM出しなさいとか、アンケート調査という名のリストどりとか、なんらかの手法を教わる。

それを地道にできる人はそのやり方があっていて、コツコツ続ければ独立れ結果が出る。

でもそれができない人は、わたしはやっぱりだめなんだ、発信できるようにならなければ、と自己否定し、別の誰かになるために今度はメンタルを変えるセミナーとかに通ったりする。

結局それは、「ありのままの自分で」という重要ポイントに反している。ありのままの自分はできない自分なので、できる自分になって才能を活かして好きなことをする、という考えがベースだから。

じゃあ、どうすりゃいいんだってことになるわけだけれど。

もし発信して自分のビジネスを売って、、、というサイクルへの熱量が高まらないなら、それは道じゃないからだけかもしれない。

自分の才能を活かし、ありのままの自分で収入を得ることは必ずしも独立起業を意味しない。雇用された状態の方がしやすい人もいる。

起業して発信して自分の才能を活かして収入を得ることは、なんのストレスもないバラ色の道というわけではない。質や形はちがっても、やはりなにがしかの山や谷がある。

好きな時に好きな場所で好きな人に会いに行き好きなことをする。

これは自由というものを表現しているかもしれないけれど、「ありのままの自分」を現しているわけではない。

独立しているか雇用されているかは、ありのままの自分でいることに影響を与えない。

独立にしろ、雇用されるにしろ、いずれの方法にしても自己否定して自分ではない他の誰かになることを求められるようなものは「才能を好きなことに活かし、ありのままの自分で収入を得て生きる」方法とはいえない。

ただし、今はできないけれど、知らなかった新しい方法を知りそれならやってみたい、やれそうだ、と思うことをやるのは自己否定ではないし他の誰かになることではない。それは成長だ。

とはいえ、その道は時間がかかるだろうし、忍耐も必要ではある。ただし、やり続ける自分、道半ばにいる自分を否定する気持ちは生まれない。

成長の道と他の誰かになろうとすることの違いは、自己否定があるかどうか。

成長の道かと思って選んだものが、他の誰かになろうとする道だったと気づいたなら、選びなおせばいい。他の誰かになれなかった自分を責める必要はまったくない。むしろ他の誰かにならなくてよかった。そんなことをすれば、心が傷をおったり死んだりしてしまう。大切なありのままの自分の感性がへし折られてしまう。

方法なんていくらでも選びなおせる。選べないのは自分という存在。今生で相棒となったこの生命、この身体、この自我。この世界で唯一、確かに存在していると自分が認識できるもの。これを肯定する以上に肯定できる存在などいるだろうか。

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