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やる気が出ないのはあなたの責任ではない

最近は、どうにもならないことやどうすればいいか分からない時、神様に丸投げするようになった。

どうにもならないことの中には、自分のやる気とかも含まれている。

やる気が出ないって、自分のせいのような気がするけれど。自分のせいって思うってことは自分でコントロールできるのにそれを怠けている、って思っているってこと。

でもやる気って、好き嫌いと直結していて、嫌いなものを無理やり好きと思うことができないように、そのときそれをやるということを好ましく思わないと出ないもの。

あとは、やり方が見えなすぎてもやる気ってそがれる。

だから、どうしてもやらないといけないって分かっているのにできないとき、やり方が分からないときは、「この道を進むことがあなたの望みであるなら、道を開いてください。必要なもの、人が来るようにしてください。そうでないなら、やらなくても済むように私をしてください」って神様になげる。

昨日もそんなことがあって。

新しい企画を打ち出して、それをどんな形でどんな人にどう届けるかを作らねば!ってPCに向かうのだけれど、ぜんぜんひらめかないし、気が散っちゃって撮り溜めしていたドラマ見ちゃったりして。

あーーー、ダメじゃん、私ってなったので。

ちがうちがう、ダメなのは私じゃない。この企画は神様プロジェクトなんだから、作るのは神様だった。自分でやろうとしていたよ、と気づき、「神様、私はもっと知性と心が喜ぶこの英語のレッスンをたくさんしたいです。それが私の道であるなら、必要なことを来させてください。そうでないなら、この仕事をしなくても大丈夫に私をしてください」って祈ったのです。

さあ、なにがやってきたかというと。

書け!という指令。

フロント商品に何をもってこようとか、どこにどんな形で出そうとか、そういう新しいことしなくていいから、お前は書け!って。

なんか笑ってしまって。そうでしたか。新しいものはいらなかった、あるもの、持っているものを使えばよいだけだった。

まわりに新しいことをいつも打ち出している人を見たり、最近インスタがうまくいっててね、なんて話を聞いたりすると、やばい、私は一体何やってたんだ!なんかやらねば!って思っちゃって、でも何やったらいいかわからないって不安になったけど。

それは私が今やることではなかった。

そして指令どおりに、レッスンの面白さを記事に書きだしたら、放置していた英語ブログにも流そうとか、メルマガにもお知らせしたいなとか、楽しくなって何時間も書いてた。やる気出ないって言ってた人はどこだ?

ほんとに宇宙はシンプルにできている。

シンプルな宇宙につながっていれば、シンプルになる。ないものをむりやり出そうとしたり、出ているものを無理に抑えたりしない。

やらなくてはいけないも、やるべきではない、も、自分が勝手に作り出した思考。そこに焦りや不安が伴ったら、それは宇宙・神・自分の本質と分離しているという証拠だから、必要なものをよこしてねってすべて神様にお返ししちゃえばいい。

やる気を出させないのも、好きだと思わせないのも、神様の計画どおり。




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