孤独を許可する
幼い時の体験というのは、ほんとうに大きな影響をその後の人生にもつ。
孤独と向き合えない。一人でいることができない。そういう女性の『自分と出会うセッション』でした。
お父様を押さない頃に亡くし、その後30代でお母さまを亡くすまで、自分はお母さんを幸せにするために生まれてきた、それが自分の使命なんだと思って生きた。お母さまを見送った後、一人の家に帰るのがいやで、連日夜中まで仕事をした。
そんな中、出会った男性と40代後半で結婚。その男性が定年退職を迎え、2年ほどたち、性格が豹変した。暴言をはき、一人で勝手に旅に出かけ、パチンコに連日あけくれ、好き勝手にしているのに家に帰ってくると不機嫌。出ていけ、死んでくれとまで言われたという。
それでも。一人になりたくない。
物理的に一人になりたくない。一人であると感じたくない。
そこで幼いころの自分を思い出してもらった。好きだったものはなんですか?
すると、身体が弱く、病院でいつもビニールハウスのような中で過ごしていたという記憶。幼いころはその記憶しかないという。
徹底的に完膚なきまでに味わった孤独。ビニールで隔絶された日々。それは孤独を感じて当然。もう孤独はたくさんと感じて当然だった。
それなのに、孤独はいけないものと遠ざけていた。
孤独に感じてもいいよね、って今思えました。パートナーシップの問題は全部自分だったんですね。
夫にも心の問題はあるだろう。でも、暴言をはき、妻を大切にしない相手に対し、自分の心を差し出してでも物理的孤独を避け安心を感じたいのか。それとも、孤独と今もう一度向き合い、自分を抱きしめ、孤独から逃げる生き方をやめるのか。
どちらが正しいか間違いかではない。どちらを選びたいのか。
夫と離れた生活は考えられません、を繰り返してきた最後。
「急にわかりました。私、この家に住めるなら夫がいなくてもいいです。この自分で設計してこだわった家から離れたくないんでした」って。
思わず大笑い。自分にとって何が一番苦痛なのか、なににこだわっているのか、それが別の問題とくっついてしまって見えなくなる。
孤独を感じてもいい、となったとたん、夫への寄りかかりが解消され、すると、本当にこだわっていたのが家だったと気づいた。
どんな選択をこれからされるのかはわからないけれど、たぶん、こんがらかった依存と愛着と大切の紐はほどけ始めたはず。
セッション受付はこちらです。
https://lin.ee/aluK8uY
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?