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「お母さん」はなぜ魔法が使えるのか?

なんか、つらい。

朝、目が覚めたら、理由もなく心が重かった。お腹が空いているせいでセンチメンタルになっているのかもしれない。お腹いっぱいごはんを食べてみたが、眠気が襲ってきただけで、さっぱり気分が好転しない。

「自粛生活で疲れているんだよ」と夫は言った。

確かに、それも理由のひとつだろう。もともと在宅で仕事をしていたとはいえ、子どもたちがずっと家にいるようになり、ひとりで仕事に集中できる時間はほとんどなくなってしまった。一日中2つ以上のことを同時並行でこなし、時間に追われている。

「でも、それだけじゃない気がするんだよなあ」

何となくモヤモヤしたまま、いつものように仕事の合間に家事をしていたら、実家の母から電話がかかってきた。

「もしもし? お花届いたよ。ありがとうね」

母の日に届くよう手配した花のお礼だった。

「届いて良かった。わざわざありがとうね」

実家までは電車で1時間半ほどの距離だが、この状況下で子どもたちを連れて行くこともままならず、母と話すのも久しぶりだった。

近況をひと通り報告しあった後、母がふと「外に出られなくてかわいそうね」と言った。

「そうなの。遊びたい盛りなのにね」

子どもたちのことだと思って私は答えた。

「うん。子どもたちもだけど、あなたもね。外へ行って花を見たり、お茶に行くのが大好きなのにね」

母の言葉に、心の奥底でぎゅっと固まっていた氷が解けて、花がひらくようにふわりとほどける気がした。

そうだ。

私はふらっと外へ出かけてのんびり花を見たり、マスクを外して匂いをかいだり、大好きなお茶のお稽古に行って、先生やお弟子さんたちと美味しいお茶を飲み、何ということのない会話をしたかった。

でも、いつ叶うかわからない希望を持つのは辛いから、本当にしたいことを思い出さないように、心の奥深くへ沈めていた。「今の生活もそれなりに楽しいし、困っていることは特にない」と自分に言い聞かせて。だんだん苦しくなってきたのは、きっとそのせいだ。

もう長い間離れて暮らしていて、ゆっくり話をする機会も減ってしまったのに、母にはなぜ、私の本当の気持ちが分かるのだろう。

「そうなの。花を見たり、お茶に行ったり、したかったんだ」

私は噛みしめるように言った。

「でもね、新しい家の近くに公園があって、人が少ない時間に走ったり、散歩したりできるんだよ」

「ああ、そうだった。先月引っ越したんだもんね」

母は言った。

「環境が変わると、家の周りの景色も目新しいし、少し気が紛れるからいいね」

私はまた驚いた。自粛下での引っ越しは大変なこともあったが、手続きや片づけが落ち着いてしまうと、確かに見るものすべてが新鮮で、新しい習慣をつくっていく楽しさもあり、ずいぶん慰められた。

母には新しい住所を知らせたくらいで、詳しいことは何も話していないのに、私が日々感じていることもみんな分かってしまう。

「子どもたちの写真、見てるよ。大きくなったね」

母が言った。孫の顔を見せることができないので、ときどきSNSの家族グループに子どもの近況を載せている。

「うん。写真じゃなくて、ほんとは直接会えるといいんだけど」

「文章も読んでるよ。お父さんがパソコンで見せてくれてね。昔から、あなたの文章はとても分かりやすいね」

ときどきSNSなどに載せている拙文を、両親も読んでくれていたらしい。

「わあ、読んでくれてたんだね。ありがとう。嬉しい」

本当に、ちょっと自分でもびっくりするくらい、嬉しかった。子どものころから人見知りで、人と話すよりも書く方が得意だった私の文章を、母は繰り返し「分かりやすい」と褒めてくれた。親の欲目だったのだろうけれど、褒められると嬉しくて、たくさん書いているうちに、ますます書くことが好きになった。

「お母さんがそうやって褒めてくれるから、とうとう書くことが仕事になっちゃったよ」

私は笑った。世の中には、すごい文章が無限にあり、信じられないほど上手で面白い文章を書く人がたくさんいることを、大人になった私は知っている。

ただ、どういうわけか、書いたものを「分かりやすい」と言ってもらえることがたびたびあり、そのおかげで、今の自分はどうやら仕事ができている。考えてみれば、私が自分では気づかなかった「分かりやすさ」を最初に発見してくれたのも、母だった。

あれこれとりとめのない会話をして電話を切ったら、「なんか、つらい」状態だった心が、少し軽くなっていた。

母の日の感謝を伝えたくて花を贈ったのに、私のほうが贈りものを受け取ってしまうのも、いつものこと。「お母さん」の不思議な魔法だ。

実家の母と話すときは、すっかり「娘」に戻ってしまう私自身も、気づけばもう9年以上「お母さん」の役割を担っている。

「お母さん、いつもありがとう」とお花を渡されるたび、私もちゃんと、母みたいに魔法が使えているかなという思いが頭をよぎる。

子どもの本音を引き出したり、現状を客観的に分析して希望を持たせたり、強みを見つけてさりげなく背中を押したり……うーん、全然できていない気がする。

そんな自信のないお母さん見習いにも、「お母さん業」の先輩である母は、電話の最後にちゃんと魔法をかけてくれた。

「写真の子どもたち、とってもいい顔で笑ってる。のびのび上手に育ててるね」

育てているというよりも、むしろ私が子どもたちに育てられているような日々なのが。

とにもかくにもまた1年、私もいつかきっと魔法が使えるようになると信じて、お母さん業を楽しんでいこう。

お花やプレゼントを贈るのも、もちろん素敵だけれど、お母さんと離れて暮らしている方は、電話をかけて久しぶりにゆっくり話をしてみると、いいかもしれない。

世界中のお母さんと子どもたちが、今夜楽しい夢を見られますように。

読んでいただきありがとうございます! ほっとひと息つけるお茶のような文章を目指しています。 よかったら、またお越しくださいね。