「今、ここ」にすべてがある〜「吾唯足知(われ、ただ足ることを知る)」
花散らしの雨降る日曜日。
今日も今日とて、お茶の稽古に向かいます。
教えていただいたのは「炭手前」。
お茶を点てるお湯を沸かすため、茶室の真ん中には炉があって、そこにお釜がのせてあります。
お湯がよく沸くよう、いったんお釜を下ろし、灰をかき炭を入れるのが炭手前。
あたらしいことを教わるときには、毎回あやつり人形みたいになってしまう。
先生の横で、見よう見まねで手を動かしおぼえようとするけれど、ちっともうまくできない。でも、そのうまくできない感じが、わくわくしてとても楽しいのです。
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炭手前の最後には、大きな正露丸みたいな色形をした「練香」を炉の中に置きます。
練香をあたためると、いい香りがするのです。
練香を入れる器が「香合(こうごう)」。
冬に使うものは、陶磁器でできています。
香合にも、お茶碗と同じようにさまざまなデザインがあります。
今日使ったのは「つくばい文」というデザインの香合。
「つくばい」は、日本庭園などによくある、竹筒の中に水がたまると傾いて、「ポン」といい音がする手水鉢のことです。
つくばい文というのは、日本のつくばい界?で一番有名な、京都・龍安寺のつくばいに刻まれた言葉を指しています。
真ん中の四角を漢字の「口」の部首に見立て右回りに読んでいくと、「吾、唯、足、知(われ、ただ足ることを知る)」と読むことができるのです。
「知足のものは、貧しと言えども富めり、
不知足のものは、富めりといえども貧し」
という、お釈迦様の「知足」の教えを図案化したものだそう。
香合にも、このデザインが使われていたというわけです。
先生に教えていただいて、「うわー!」と感動してしまいました。
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お釈迦様の言うとおり、私たちの日常にはたくさんのモノや情報があふれていて、いくら手に入れても「もっとほしい」という欲望にはきりがないですよね。
今、ここにある豊かさを知ることって、とても大切だなあと思ったのです。
お茶室には、最低限のお茶の道具と、お花とお軸があるだけ。
でも、季節や道具の組み合わせ、集まる人の心のうごきによって毎回違うストーリーが生まれ続けるお茶室に、「吾唯足知」という言葉はほんとうにぴったりだなあと。
そして長い長いお茶の歴史のすみっこに加えてもらっている自分は、お茶室をはなれても、「今、ここ」に必要なものがすべてそろっていることを、いつも忘れずにいたいものだなあと思ったのでした。
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