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花のいのちに心を添わせる

お花を習いはじめました。

もともと、野に咲く花はとても好きなのですが、今までは、生きている花を鉄の鋏で切って、剣山に刺していく勇気がどうしても出なかったのです。

でも、大好きな花の前で写真を撮ってもらったら、どうしても、花たちともっと仲良くなりたくなりました。

以前から通っている茶道教室の先生が、隣の部屋で華道も教えていることを知っていたので、「先生、お花も教えていただけますか?」と思い切ってお願いしました。

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茶道では、右手を出すか、左手を出すか、座る位置から道具を置く場所まで、あらゆる手順が細かいルールで決められています。

ひとつひとつの動きを覚えるのは大変ですが、一度体に馴染んでしまうと、するべきことが決まっているので、「決められたルールの中でくつろぐ」ことができるようになります。

でも、華道は「自由にデザインするのよ」と先生。

「お茶とは、ぜんぜん違うの」

色とりどりの花たちと、空っぽの花器を前に、私は途方に暮れました。

真っ白な紙とクレヨンを、ふいに渡された感じに似ているかもしれません。

子どもの頃は何も考えずに落書きをしていたものですが、大人になると、決められた枠の中で何かすることが多くなって、「自由に」と言われると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。

私はこのカンヴァスに、いったい何を表現したらいいんだろうーー

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わからないなりに色や形を考えて、おそるおそる花の茎に鋏を入れます。

パチン、と音がして、どきりとしました。

いま、私は花のいのちをあずかっている。

急に背すじが伸びて、花たちに失礼がないように活けなければと思いました。

「失礼がないように」と言っても、何しろ初心者なので、何をどうしたものやらさっぱりわかりません。

冷や汗をかきながら活けたお花を先生に見ていただくと、「うん。わるくないわよ」と言いながら、ちょっと角度を変えたり、葉っぱの数を減らしたりしてくれました。

ほんの少し手を加えただけなのに、見ちがえるように立体的に、ひとつひとつの花がイキイキとして見えます。

先生は、お茶やお花の先生とは別に、デザインのお仕事もしているので、空間の使い方がとても素敵なのです。

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この花は、どの角度から見ると、一番美しく見えるんだろう。

野に在るように「自然である」ってどういうことだろう。

そんなことを思いながら色とりどり、やさしい香りの花たちと真剣に向き合い、心を添わせていく時間は、つたないながら、とても楽しいものでした。

「ときどき、お花もやってみたら?」と先生も言ってくださったので、月に一度くらいのゆっくりペースで、季節の花と過ごす時間をつくっていこうと思います。

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隣の茶室に移動して、お茶の稽古は「釣釜(天井から釣られてゆらゆら揺れるお釜)」に「旅箪笥(お茶の世界のピクニック用バスケット)」。

「ああ、今年も春がやってきたなあ」としみじみうれしい。

お茶の稽古は、季節によって次々道具が変わっていくのですが、去年の春は教室がお休みになって、釣釜にも旅箪笥にも会えなかったのです。

今年は例年よりも早く藤が咲いている。というニュースを見たので、お稽古には藤色の着物を着ていきました。

季節の移ろいを感じて、日常を離れ深呼吸する、私の大切な句読点の時間。

今日も1杯のお茶をいただけることに、心からの感謝を。




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