見出し画像

大切だったのは、私のなかの「Already」①

Already :すでに・もう

この一つのシンプルな英単語が夢を叶えるための鍵になってくれるとは、1ヶ月前の私は思ってもみなかった。




きっかけは、「Coaching A to Z 未来を変えるコーチング」という本を読んだことだった。


問題の原因に焦点を当てるのではなく、クライアント ––– 私たちのなかにすでに存在するポジティブな要素を対話によって見つけ出し、それをもとに現実の認識を再構成していく「解決思考アプローチ」について、心あたたまるエピソードを交えつつわかりやすく伝えてくれる。


26のエッセイがアルファベット順にならぶこの本の最初を飾るのが、「Already」だ。



+++++++++



私は音楽家としてこれまでに数多くのオーディションや試験、コンクールを受けてきたが、思うような結果を得られたことは数えるぐらいしかない。

その数少ない結果がいつも良い出会いを導いてくれたおかげで、今日まで歩んでくることができた。

そのことには感謝の気持ちしかないのだけれど、落ちる経験を重ねるごとに、「どうせ次回もダメだろう」という後ろ向きな気持ちとともに自分で失敗を招いてしまう傾向が強くなっていた。



コンサートのための準備段階において、このような負のループに陥っていると実感することはあまり、というかほとんどない。



コンサートとオーディション。

一発勝負の舞台であることは同じ。
誰かに聴いてもらうという目的も同じ。
他者からの評価も、どちらにもついてまわることだ。

では、私にとって最も大きな違いはなんだろう?

賞や就職のチャンスという「ご褒美」の有無かもしれない。
ならば向き合うべきは私自身の欲だろうか?

または、「落ちた」「失敗した」というネガティブな記憶だろうか?

いろいろなことを考え、ずいぶん長いこと自分自身と格闘してきた。


そんななか、1ヶ月ほど前だっただろうか、ふとこんな風に思ったのだ。

私のなかで大きく違うのは、自分のなかの「already」を頼りにしているかどうかなんじゃないか。


ちょうど冒頭で紹介した本を読み終えた頃だったと思う。



++++++++



私がここでいう「Already」とは、解決思考アプローチにおいて言われるところの、「自分のなかにすでにある(ポジティブな)要素」だ。


音楽演奏においていうならば、経験や技術、生まれ持った感性、はたまた使用楽器…などだろうか。



例えばコンサートに向けては、自分のこれまでの経験を糧に、自分の感覚や培ってきた技術を信じて準備をし、本番後はこれまでの自分を基準に自己評価する。



ところがオーディションに向けては、これまでの自分・経験を否定し、「同じ失敗を繰り返さないように」「違う自分に変わらなきゃ」というような感じで、新しい方法(とその時は思っているが実際はそうでもない)に手を出しつつ準備をしていた。

でもそれは、土台のないところに立っているようなものなのだ。

本番が近づくにつれてどんどん不安が増し、一発勝負の場ではもちろん踏ん張ることができない。

本番後は「またできなかった」という、0か100かの極端な自己評価をしてしまう。



+++++++


自分のなかの「already」を大切にすること。

それは、欲や負の記憶と戦うより、簡単なことのように思えた。

「なんだか自分に甘い感じがするけど、こんなことでいいのかな…」

自信はなかったけれど、とりあえず次のオーディションは自分のなかの「already」を大切にしながら準備してみようと思った。

結果がどうであれ、0から始めるより合計は増えるじゃないか?



つづく





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?