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79. 神風特攻隊として戦場に征くはずだった祖父

私には今年、91歳になる祖父がいます。

祖父は第二次世界大戦の時に神風特攻隊として戦場に征くはずだった人です。

当時14歳だった祖父は鹿児島県姶良市加治木町出身でした。

山で生まれ育ち、小学校~中学校には1時間以上もかけて山を下って通っていたそうです。

嵐の日も台風の日も関係なく、元気に登校してきた祖父は流石に先生を驚かせたといいます。
もちろん、皆勤賞。
これを聞くだけで、祖父がどんな幼少期を過ごしたかが容易に想像できました。

そんな祖父が8歳の時、1939年に第二次世界大戦が始まりました。
1941年、米国が日本に対して宣戦布告し、第二次世界大戦に参戦。

神風特攻隊として戦場に征く(ゆく)人のほとんどが17歳~22歳の若者だったそうですが、1945年、まだ14歳だった祖父も徴兵されたところをみると日本の戦況が厳しかったことが伺えます。

身体能力が高かった祖父は、深夜の空襲警報では一番に飛び起き、一番近くにある軍服に着替えて、一番先頭に整列する人でした。
自分の軍服を祖父に着られてしまった当時の仲間は出遅れてしまっていたと祖父は笑いながら話していました。

当時から目的のために、なりふり構わず全力投球してきた祖父は今でも私の憧れの人です。

そんな祖父に特攻隊として出陣通告が届いたのは1945年8月15日、終戦日でした。
出陣要請は通告から2か月後の日付でした。

あと2か月戦争が長引いていたら、祖父はお国のために14歳という若さで命を落としていたかもしれません。

本当に幸運だったと思います。

だからこそ、父が生まれ、今、私がここにいます。

祖父は小さい頃から、
毎日感謝して生きること
そして一生懸命に生きること
の大切さを繰り返し私たちに教えてくれました。

小学生の頃、毎年夏休みに祖父の家に泊まりに行く度に、川の字になって寝る習慣がありました。
寝る前に祖父が語ってくれた昔話は何度も繰り返し聞いていたからか、今でもよく覚えています。

今の私には想像もできなかった人生を生きてきた祖父。
誰よりも命の尊さを感じながら懸命に生きてきた祖父。

そんな祖父を私は大尊敬しています。
今、大人になって当時は幼すぎて解らなかった祖父のすごさを感じながら、私も懸命に生きると決めています。

祖父の教えや昔話を伝えていく必要があると強く感じ、今回はここにしたためました。

祖父の凄さは一回では語り尽くせないので、また別の機会にお伝えしようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

美歩

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