私の人生 ~自閉症の妹と過ごす中で。Part3~
兄弟児の心によりそうみほです!!
前回、noteをかいてみてからの期間、なんだかんだでバタバタとしておりました😂
そして、来週にかけても個人的にかかわっている団体で組織キャンプがあり、なにやらあっという間に月日が過ぎていきそうな8月です!!
ということで、short.verで書いていきます。
そして、いつものごとく、今回は何を書こう!?と思ったのですが、とりあえず幼稚園・小学校時代に感じていたこと③を書きます。というよりか、今回は幼稚園・小学校時代が特にそうだったって話ではあるけれど、その時だけではなかった気がします。
〇〇(ちゃん)〈妹の名前〉のお姉ちゃん といわれることへの違和感。
私は、よく学校で〇〇のお姉ちゃんと呼ばれていました。たしかに、事実としては間違ってないんだけど、私の名前で呼ばれることは圧倒的に少なかった。
自分で言うのも恥ずかしながら責任感は強かったし、お姉ちゃんとして面倒を見ることはよくしていたし当時はそんなに深くとらえていなかったかもしれないけれど、
やっぱり、私は、私個人だと、そんなに印象がうすくて認めてもらえないのかみたいな感情はどこかにあった。ほかの子は名前被りとかあってアレンジされていることはあっても、名前で呼んでもらえるのに、私はやっぱり〇〇のお姉ちゃんという認識なんだなと。名前で呼んでもらえる機会もあったけど、う~ん。
なにか、ちょっとしたハプニングとかがあれば、すぐわたしのところに話がとんでくるし、(実際に先生がくることもあった)レッテルをはられている感じってところかな~。先生たちも対応がわからなかったのかもしれないけれど、面倒をみている私じゃないとなんか認めてもらえる気がしなかった。
全員ではないにしろ、先生や 兄弟で同じ学年にいた親御さん、関係性を知っている親御さんから、あ~こんにちは。〇〇ちゃんのお姉さんといわれることもまあまああった。(もっとも言われていたのは、小学校3~5年生あたり?)なんか、妹の付き人でも何でもないのに妹ばかり目立って注目されて?いいな~みたいなことをおもっていたような・・・。
面倒をみるのは、もう日常のことだったしそんなに苦ではなかったのだけれど、なんというかPart1.2のことともつながるけど、嫌われたくない、いい子でいないと自分の居場所はないというのがあったな~!!”青鹿美保”として見てもらえていない感覚をいだいていました。
周りからはしっかりしてるねと言われる・・・・でも嬉しさだけじゃなかった。
周りからは、面倒を見て偉いね。しっかりしてるねと言われることが多かった。母や家族というコミュニティにおいて役に立てているのかもというのを客観的にとらえる機会にもなったといえなくはないけど、(そういう意味では嬉しさもあった。)実は、重荷だった。ますます、自分のことを押し殺して我慢していく(自分のことは置き去りというか棚に上げてるみたいな)ことが善なんだ!しっかりしないとダメなんだと感じていました。
前は、このラインでしっかりしてるといわれていたのに、そこがだんだんと最低ラインになっていく気がしていて、どんどん自分を追い詰めてしまっていた(追い詰められていた)なとも今は思います!(周りの期待に応えないと。みたいな!?)
周りの人は特にそんなに深く考えず、純粋にしっかりしているとほめてくれていたのかもしれません。でも私のなかでは足かせになっていっているのでした。
今回は、このあたりでお開きです。現在のことと当時のことが本当に混在するけれど、少しずつ整理していければなと思います。(気持ちの棚卸し)
読んでいただきありがとうございました。🙇♀️🤗
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