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疲れるくらい、話がしたい

気分が落ちている日々が続く。
かれこれ半月くらい。お盆あたりは雨が長かったので雨で憂鬱なのだと思っていたのだけれど、晴れている今日も落ちているので原因はどうやら雨でないようだ。

時々突然涙が出たり、睡眠が細切れになり、いつも眠い。多趣味なのにやりかけを放置して全然やる気が起こらず今に至る。
その原因の一つはこれじゃないかと思っている。

先週、フジロックの開催で色んな意見を目にした。
開催決定した時、好きな人が参加されるのを知って行きたいと思った。だけど日帰りでは難しい場所で、色んな費用の事を考えると諦めるしかなかった。

そして開催が近づくにつれコロナ感染は益々拡大し、ネットを見るとあちこちで厳しい言葉が飛び交っている。参加者と出演辞退の思いも読んだ。それに対するコメント。私は参加したわけでもないのにその言葉にボコボコにされる。
フジロックを配信でいくつか観た時、楽しむというよりミュージシャン達の背景や辛さを勝手に想像して、歌詞の一つ一つがリアルに刺さり重みを感じてドキュメンタリー映画を観たような、何かを背負っていく気持ちになった。参加できなかったけど今年のフジロックはきっと忘れない。

オリンピックの時もそれ以外でもそうだけど、ネットで匿名で物申す人達は何であんな事に時間が割けるのかが不思議だ。私は今、無職の主婦なので人と比べるとかなり時間のある方だと思うがそれでもいつも時間が足りない。あれもしたいこれもしたい、でもしんどいので眠りたい。そんな人間からするとネットで物申す人達の時間と体力には感心するばかりだ。

そう思うのは私が文章を書くのに時間がかかるからというのもある。私は友達へのLINEですら読み返して一周考えてから送信する。好きな人のインスタライブのコメントすら文字入力しては躊躇し、止めどなく流れる言葉に乗り遅れ、やめること毎度。なのでnoteで書く時は一周どころか何周もしてしまう。なぜか。それは人を傷つけたくないからだ。誤解されたくもない。でもそのこと自体、自分が傷つきたくない守りの証だ。

匿名で物申す人達は、不特定多数の人に読まれたとしても対象者に届くかわからないのに、何かを変える事が出来ると信じているのだろうか。或いは書く事で何かスッキリするのだろうか。

書かないといられないくらいストレスが溜まっていてしんどいんだよね。
イベントに反対するのは、「自分の関係する行事は中止になったのに」とか、「私こんなに我慢してるのに」ってしんどいんだよね。
医療従事者が大変なのにって言う人は医療従事者の人に親身になりすぎてしんどいんだよね。もちろん私だって頭が上がらない。もしくは医療崩壊した日本で生きていく事の恐怖に耐えられないのかな?それとも…

耐えられないしんどさを前にどうやって乗り越えようとするだろうか。罪にならない程度の方法として。
大声を出す。歌う。
走る。体を動かす。
食べる。寝る。呑む。
何かを壊す。
誰かのせいにして悪口を言う。書く。

私は気持ちがしんどいピークを過ぎると前髪を切ってしまう。リストカットならぬ前髪カット。パツパツオンザマユゲ。
リストカットする人の辛さからすれば私の前髪カットなんか話にならない。そこに痛みはあるのかい?ありません。そんなの分かってる。だけど追い詰められた時にやってしまうのだ。今まで何度もやった。育児ノイローゼみたいだった時。今はもう付き合いのないママ友に怯えていた時。他にも何度かある。それと同じ行為なのだろうか。追い詰められて気持ちを書かずにはいられない、みたいな。

ネットで匿名で物申された文章の中にも長けているなあと思う事がある。「腹立つ!」みたいな単純なのもあるけれど、上手に書くなあと感心する文章がしばしばある。非難の言葉を理路整然と読みやすく書き連ねていて、私のように一周回って推敲されたのかもしれないけど、ここで時間を割いてこんな事を書くくらいならもっとその特技を生かせる方法や場所があるだろうに。私みたいなのをボコボコにするには十分だからあれはあれで必要悪なのか。いや寧ろ不必要善?書いている人はそれで満足できるのだろうか。

紆余曲折したが、結局は人と話す機会が減ったからではないかと思う。
私自身もコロナ禍ゆえにここ2年は人と話す機会がめっきりなくなった。家族や宅配の人くらいしか日常言葉を交わしていない。
もちろん緊急事態宣言の合間には一人で出かけたり、学校でママ友や先生と話したり、友人とランチくらいはしたものの、それも今までなら月に3回くらいだったのが、1年で3回の頻度。親友とLINEでやりとりはしているし、毎日家には誰かが居るので孤独というわけではない。

だけど圧倒的に人と話をしていない、とは感じる。
話がしたい。誰もいない。そんな状態の人はネット上で話す事を探すだろう。「そんな事、世の中に出さずに日記の中で済ませて処理すればいいのに」と思うことも、彼らは意見したり議論したり時には論破したいのではないだろうか?

閑話休題。

こうして書いてみたら見えなかった自分のことも見えてきて落ちた気分が少しはよじ登って行けるかな?と思ったのだけど、そう簡単にはいかないね。

匿名で物申す人達のことを非難する物言いをしてきたけど、もしかしたらご近所の人にもいるかもしれないし、友達や親戚の中にいるかもしれないし、どこかで偶然隣に座った人がそうかもしれない。この文面のあんたもそうじゃんって言われたら本末転倒。
日記にしておけばいいのに自分の整理をしたいだけで読んでもらう体でこうして書いてるのだからその通りでしかない。


最近、藤崎彩織さんの「ねじねじ録」をよんで、彼女のことをとても好きになった。彼女みたいな文筆をしたい。
悩んで拗れていくけど、私も前を向きたい。

そして今は疲れるくらい話がしたい。
匿名ではない誰かと。


(…今は難しいと思うから文通でもいい。)

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