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多摩川のほとりで

学生の頃、3年間過ごした山形の山の中から出てきて、何もかもスピードが速いと感じてくたびれてしまった時に、自転車でよく多摩川を走った。

山の中を目指してだいたいは上流に向かっていたが、海まで行けるのだろうかと川崎の方にもいったりした。が、工場に阻まれていつも海へは出れずじまいだった。

でも広い空があるだけでだいぶ心が救われた。

東京に住んだのはその2年だけだったので、その後多摩川へはもうしばらくはちゃんと訪れていなかった。

2020年3月13日

多摩川の河川敷でゲリラ写真展&ライブ



ことのはじまりは、私がTwitterをやり始めた頃、新宿になんか面白い店があるらしい。

ベルク。

安くて美味しくて文化的な香りもする。

こんな安くてこんな美味しいの?という珈琲につられて何度か行くうちに、ベルクの壁で写真展があった。

何かしらいつも展示があったようだが、その日は多摩川河川敷で暮らす野良猫たちの写真だった。

なんとはなしに惹きつけられて見ていたが、やがて写真に添えられている文章を読んで頭を殴られた感じがした。

その猫達は、ほとんどが捨てられてしまった猫たちで、多摩川に暮らすホームレスのおいちゃん達によって育てられていた。

だが文章は虐待にあって酷い死に方をした最後まで綴られていた。

最初はホームレスのおいちゃんたちに可愛がられてちょっとほっとしたような気持ちになって読んでいたら最後に急に突き落とされる。

すると写真の中で確かに生きている猫が今はもういないどころか、味わう必要のなかった悲惨な死に方をした猫だということが分かると、その猫たちの瞳が私の心の中に刺さってくる。

知らなかったという事がこんなにむごい事なのか。

河川敷なら猫は生きていけるのかもしれない。特においちゃんに拾われた猫たちは幸せかもしれないなんて思っていた自分がひどく呑気でアホに思える。

虐待はテレビのような特別な事件の話ではなく、小西さんによると日常茶飯事なのであった。

それから小西修さんの毎日綴られるTwitterでの多摩川河川敷の猫やおいちゃん達の暮らしを追いかけるうちに、小西さんが紹介した村上浩康監督の東京干潟という映画を知り、ポレポレ東中野に見に行った。

多摩川の干潟でシジミを毎日とっている80代のホームレスのお爺さん。

シジミを売って捨てられた猫たちの餌代にするのだという。

監督の、なぜここまでするんですか?という問いかけに、

だってこいつらも生きてるんだもん。

こいつらだって生きる権利持ってるんだもん。

365日猫たち、おいちゃん達の世話をする小西さん夫妻も、シジミのお爺さんも、彼らの生き方にもっとふれてみたい。そんな気持ちになった。

そんな折に小西さんが私の馬頭琴ライブを聞きに行きたいと思っているという事を知った。

映画東京干潟が素晴らしい賞をとり、全国に上映の機会が広がって、再びポレポレ東中野でシジミのお爺さんも舞台挨拶に来るというので、年末にまた映画を見に行った。

そこではじめて小西さんと会って、私は何も考えずに、多摩川で馬頭琴弾きます!

と小西さんに言った。

おいちゃん達と小西さんに聞いてほしいと思った。

それはとても素敵な提案のような気がした。

冗談半分だと思われちゃいけないと、すぐに日程はいつがいいですか?と連絡をとる。

パーカッションの前田仁さんにも声をかけると、世界で一番嫌いな蚊が出る前なら自分も参加したいと言う事だったので、小西さんに寒さが緩んで蚊が出る前はいつですか?と聞くと三月という事だったので、3月13日にしましょう!と決まる。

小西さんがせっかくだから写真展も!という事で私は願ってもない事で、でもその日が近づくにつれて、おいちゃん達は本当に来てくれるんだろうか?

楽しんでくれるだろうか?

と心配になってきた。

様子が全く分からないので、もし日々の食べるものにも不自由しているなら、音楽の前に何か皆んなで食べられらる物を持っていくべきだろうか?

などと考えたり、それはかえって失礼か?とかよっぽど小西さんに聞こうかとも思ったが、私たちの音楽を受け入れてくれなかったら、それはそれでその時に落ち込めばいいか。と謎の判断をして楽器だけ持って当日を迎える。

Twitterでけっこう小西さんが作ってくれたチラシデータが拡散されたので、もしお客さんが割と来てくれた場合に、逆においちゃん達が居づらくならないだろうか、とかまた余計な心配をする。

早めについて楽器を橋の下に運ぶのに様子を見にいくと、小西さんとおいちゃん達がもういた。

そして楽器を運んでくれて、演奏するのに座る椅子を用意してくれた。

その椅子はクーラーボックスで、高さが調整できるようにいくつかブロックも持ってきてくれていて、クーラーボックスの上には二重にタオルが畳んで敷かれていた。

そのクーラーボックスを置くのに、ちょっと石ころだらけの場所だったからか、炬燵のテーブル板が用意されていて、さらにその板を包めるように、畳のござが用意されていた。

なんかもう、そのござも、テーブル板も、真っ白な大きなシートも、クーラーボックスの上に敷かれたタオルも、おいちゃん達が住んでる場所で使われてる大事な物じゃないかと思えて、使っていいんですか?

と思ったが、用意してくれたものだ、有り難く使わせてもらう。

白いシートをステージのように敷いて、その上にござで包まれた板を敷いて、その上にブロックで高さ調整して、クーラーボックスを置き、タオルを二枚重ねて敷いて、どれだけ丁寧なんだと、私にとっては豪華な王座より素敵な椅子だった。

てっきり、お客さんとして後からおいちゃん達が来ると思っていたのに、すっかり準備してくれて、とても嬉しかった。

音楽も楽しんでくれたらいいなと思った。

お客さんらしき人達がぽつぽつとあらわれる。

村上監督も来た。

おいちゃん達が、キャンプ用の大小様々な折り畳み椅子をお客さんにすすめていて、自分たちは傍で立っている。

ふと見ると、ドリンクバーが用意されている!!

演奏の途中でお客さんにもドリンクを配り、演奏している私と前田さんにも振る舞ってくれた。

紙コップを捨てるゴミ袋も設置されていて、おいちゃん達のあまりの気配りに驚く。

小一時間も演奏して、ドリンクバーの台を囲んで打ち上げ。

飲み物や食べ物を沢山勧めてくれて、私と前田さんそれぞれにお土産までもらった。

その頂いたお土産はおそらくは貰ったり、拾ったりした物であろうと思われるものだった。


それでも仕事で頂く豪華な花束の何倍も心にぐっときた。

心遣いが嬉しかった。

小西さんの奥さんも初めてお会いした。

おいちゃん達の心遣いに感動したと話すと、彼らはね、やっぱり厳しい生活の中で支え合わないと生きていけないと良くしってますからね。と言われて、ハッとした。

弾いている時、背中に小西さんの撮った多摩猫達の生きた証をおもった。

小西さんはわざわざこの丸子橋の近くに生きていた猫たちの写真を選んで展示していた。

この場所でみる多摩猫の写真は胸に迫った。

風がすごかった。

悲しさは風が音と共にどこかに運んでくれないかと思った。

ライブを撮る写真家の三浦麻旅子さんも来ていた。

彼女が打ち上げの時に、太陽に虹の光がかかっていましたよ。とおしえてくれた。

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三浦麻旅子撮影

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三浦麻旅子撮影

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三浦麻旅子撮影

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小西修撮影

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小西修撮影

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小西修撮影

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三浦麻旅子撮影

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三浦麻旅子撮影

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三浦麻旅子撮影

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三浦麻旅子撮影

村上監督も演奏〜♪

打ち上げ。ドリンクバーの台は自転車を使ったおいちゃんの手作り。

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小西修撮影

おいちゃんから一杯。↓

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三浦麻旅子撮影

小西修さんと♪

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多摩川のほとりで。

またやりたいな。

皆んなをもてなしてくれたおいちゃん達も、私の思いつき提案に快く協力頂いた小西修さんと奥さまも、素敵な写真を撮ってくれた写真家の三浦麻旅子さんも、投稿を見て来てくれたお客様も、明日産まれる!という予定日のお腹を抱えて来てくれた友人家族も、一番乗りで来てくれた村上監督も、多摩川で必死に生きた多摩猫たちも。

ありがとうございました。

そしておもったのは、このコロナウイルス出現で仕事もキャンセルが続き、暗い気持ちにもなるのだが、このおいちゃん達のように、優しさを忘れずに、たくましく生きていけばなんとかなる。

そう教えてくれた事だ。


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