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目には見えなくなった母の実家

「〇日におばあちゃんちを壊すことにしたよ」

年が明け、実家で過ごす最終日に、母が思い出したように言った。母がおばあちゃんのおなかにいるときから、父と結婚するまでのときを過ごした家。数年前におばあちゃんが亡くなり、ぽっかり空いた家になっても、母は毎日欠かさず訪れ、ずっときれいに保っていた家。けれど、2019年の台風で床上浸水が起こってから、維持が難しくなってしまった家。

いよいよ無くなってしまうんだ、と思ったと同時に、なんでもっと早く言ってくれなかったんだろうと、少し母を憎みたくなった。壊す日まであと5日。しかし明後日には仕事が始まる。

台風の被害に遭ってから母は、おばあちゃんの家へあまり一緒に行ってくれなくなった。小さいころ、保育園を休んでおばあちゃんちに行ったこと。高校受験に合格して、制服のまま報告しに行ったこと。最後はかならず「また来るね」と言って帰ってきたこと。私にだってあの家との思い出はたくさんあるのに、なぜだか避けられているような気がした。

母は、実家が大好きだった。「もともとすごく古い家だったけど、大工だったおじいちゃんが仕事の合間をぬって、きれいにしていってくれたのよ」と、祖父との思い出とともによく語ってくれていた。

実家が無くなって一番悲しいのは母だから。母が嫌がっているならしょうがない。最後にあいさつもできず、あの家は無くなってしまうんだ。

そう考えたものの、自宅にもどってもモヤモヤが消えず、せめて外観にだけでも挨拶しに行くことにした。もう明日しかない。

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よく晴れた1月のある日。「おばあちゃんちに別れを言いに行ってくるよ」と母にメッセージを送る。数分後、「ありがとう。私も行くよ」と返信が来た。

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2階は1部屋のみ、母の部屋だった場所。私が知っているここはものおき部屋だった。

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祖父母の寝室で、仏壇があった部屋。

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奥の部屋は、私が幼いころに増築した記憶がある。「たくさん人が来れるようにしたんだよ」と母は言ったが、たぶん孫たちが泊まりに来ても大丈夫なように、もう1つ部屋を作ったんだ。当時の祖父母の気持ちと、この部屋で眠った記憶が無いことを思って、胸が詰まるような思いがした。

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一番よく過ごした、居間。小さいころは掘りごたつでぬくぬくしながら、おばあちゃんが貯めておいたチラシの裏紙で絵を書いたり、日記を書いたりして、仕事終わりの母が迎えに来るのを待っていた。置いてあったクレヨンしんちゃんのビデオテープは、セリフもCMも覚えてしまうくらい見た。すっかり家具がなくなってしまっても、あのころの出来事がしっかりとよみがえってくる。

実家を出ても毎日のように訪れ、祖父母の様子を見に来ていた母は、ここにどれだけの思い出があるんだろう。もう会えなくなってしまった祖父母との記憶が、ここにどのくらい詰まっているんだろう。

……きっとどんなに想像しても、想像しつくすことは絶対にないだろう。

母の実家は目に見えなくなってしまったけれど、私や家族の心の中には、ずっとずっといつまでも、楽しい思い出とともに残し続けていきたい。

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おばあちゃんと母の話。


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