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一生幸せでいるための「悩みのデザイン」

日ごろ悩みは尽きないもので。

仕事をしても、友達と会っても、たとえ一人でいるときでも、その時そのタイミングにあった悩みを引っ張り出しては考えている。

日々悩みにがっちり肩を組まれ、決してほどけない二人三脚でこれまで過ごしてきた。noteを書くことで少しだけ意味付けができるようになってきたものの、やっぱり悩みはないほうがいい。そんなふうに思っていた矢先に出合った言葉が、「悩みのデザイン」だ。

“わたしたち夫婦は、二人でも仕事をしているので幸せに思われることも多いが、実際は大変なことも多い。ただ僕らは「夫婦が、居心地よく生きていけるシステムをつくること」に悩むことは、じぶんたちが生きる意味に値すると納得しているから、他の小さな悩みや課題を受け入れることができる。

悩みを解決し続けることよりも、「この悩みだったら悩んでもよい」という<幸せな悩み>を設定することのほうが、じぶんの人生に対する納得度や幸福度を高めることにつながる。”

悩みは重くつらいもの、そんなふうに思っていたが、どうやらそれは考え方で変えられるらしい。確かに「悩む」ことはそれに対する興味があること。悩み続けるということは、ずっと考えてしまうこと。悩んでいるときは体験かもしれないけれど、悩んででも取り組みたいことだとすれば、それは幸せな悩みなのだろう。

私の場合、「一生悩んでもいいな」ということに、言葉の始まりが思い浮かんだ。何をもって私は“幸せな状態”を幸せと呼ぶことに了解したのだろう。幸せのカタチは、人によって全然違う。けれど全体をなんとなく抽象化したソレをもって、「幸せ」という言葉で表せたのはなぜなんだろう。そしてHappyが「幸せ」であると、どうやって気づいたのだろう。

同じ言葉でくくられているにもかかわらず、感じていることが一人一人違う。自分以外の感情を正確に理解できないのに、同じ言葉を使って表現し、わかった気になってしまうのはなぜなんだろう。悩ましいけど、おもしろい。

自信の無さや自責思考も、こんなふうに楽しく悩めるといいんだけどな。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」を始めました。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~土までのうち、私は月・水・金を担当しています。

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