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思い込みが生み出す「自信をつけなきゃ」からの解放

こんなこと言って誰かを怒らせたらどうしよう、自分はいてもいなくてもいいのでは、放っておくとそんなふうに考えがちな頭の中を、「怒らせたら謝ればいい」「これは単なる妄想で、事実はわからないんだから考えなくていい」などこれまで学んできた考え方をフル活用し、思い込みの渦から逃れようともがいている。

なかでも思い込みのひとつに、「自分に自信をつけなきゃだめだ」があった。もっと自分に自信があれば、こんなに人の目を気にしなくてすむのにとか、怖がることなく発信ができるようになるのにとか、「自信がある」ことは自分の可能性を広げ、できることを増やしていくことだと考えて、自信が無いことは悪だと信じて疑わなかった。

そんな思い込みをぶったぎってくれたのが、サクちゃんの本『世界は夢組と叶え組でできている』だ。

"自信がなくても、とにかく敬意をもてる人の仕事だけを受けるようにしたら、その人たちのためにいい仕事をしようと努力をするし、誇りをもてるようになると思う"
"それから、わたしはよく「自信がないことは相手には関係ないよ」と言う。自分の能力を信じられないとしても、相手が自分に向けてくれた好意や期待や信頼は相手のもので、自分の都合でそれを受け取らないのは失礼なことだ。自信をもつのが先なのではなくて、相手に敬意をもつのが先だと思う。"

私が好きなこの章は、以前noteでも読んでいて、タイトルに虚をつかれたような気持ちになったことを覚えている。読んでいるうちに、1年ほど前に書いた私のnoteを思い出し、あと一歩でサクちゃんの考えに近いところまで到達していたのでは…と思った。

"「こんな私は受け入れられない」と思うことは逆に、「周りの人は色々な特色の人を受け入れることができない」と思っていることに近いのかもしれない。大切な人たちをそんなふうに思うなんて、ちゃんと信じられていない証拠。"
(『どうして自信が欲しいのか。どうして自己肯定感をあげたいのか。』)

私のnoteでは結局、「相手を信じるためにはやっぱり自分に自信が必要だ」と、堂々巡りの答えになってしまっていたけれど、自分に自信を持つことがすごくハードルが高いのであれば、やり方を変えてみてもいいのかもしれない

自分が無理なく始められること、それは敬意をもって信頼できる人と一緒にいること、その人の言葉を信じることだな、と思った。

自分のことを褒められても、どうしても素直に受け止められないことが多い。「優しいね」と言われても、優しくない場面の自分を思い返してうまく受け取れないし、ポジティブだね、と言われることもあるのでこの人は私の何を見ているのだろうかと不思議に思ってしまう。

また、大切な人に言われた「優しいね」は時に呪いに変わり、「あの人の期待を裏切らないようにしなきゃ」と言葉の通り演じ始めてしまう事態だって発生する。実際のところは優しくないところを見せても大して相手は気にしないのに、他人の目が気になるからこそ勝手に自分で思い込んでしまうのだ。

「あの人がこうだから」とか、「社会がこうだから」とか、主語を"あの人"や"社会"にせずに、「私が大切にしたいから」とか、「あの人の言葉を私が信じたいから」とか、主語を"私"にすることで、たとえ自信がなくてもほかの人の行動や目におびえることを少なくできるのだと思う。

それに、私が想像するほど、私の行動は社会に大きな影響を与えない。1回でも誰かに嫌われたり、失敗したらこの世の終わりのように思ってしまうけれど、生きているうちはやり直せるし、終わりは迎えない。

サクちゃんの本には、自分のサイズを知ること、自分の原液を知ることが大事だよと書かれている。ポジティブでもネガティブでもなく、とにかく自分の性質や気質をそのまま知ること。そして、わざわざ違うものにならなくてもよいという。

"たとえば、自分の原液がコーヒーだとしたら、緑茶の人を「自分とは違うな」と理解しつつ、緑茶になろうとしないほうがいい。ちがうから。
それよりも、コーヒーはミルクと合わせるとマイルドになって新しい味になるとか、冷やしてもおいしいとか、脱臭作用があるらしいとか、自分の持ち味や他の素材との組み合わせを考えたほうがいいと思うのだ"

いつまでたってもなれなかった「自信を持つ」という行為は、もしかしたら自分じゃないほかの原液になろうとしていた行為なのかもしれない。それよりも、自信はないけど相手を信じることは得意だとか、この分野では自信がないけど、これならある程度しっかり意見を言えるとか、もっと「自信の無さ」の原液をとことん探ったほうが、自分の持ち味や相性のいい組み合わせを自ら理解できるようになる

本の中でサクちゃんは、とても冷静に論理的に「自分を知る」ことへと誘導してくれる。自分はあれができない、これがダメだと思い込みから悲観的になる前に、きちんと自分を把握できると、進むべき道が見つかるよ、と声をかけてくれる。

ごもっともすぎてグサリと刺さる部分がおおいのだけど、それがきもちのよい刺さり方というか、その場だけの応援や優しい言葉ではない、根本を解決する糸口になっているので、無理をせずに読み続けられた。

思い込みの世界から抜け出し、自分を知ること。それが居心地よく生きる鍵を握っているのだろう。


去年の毎日note


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