続けた結果を急かしているのか

数字はわかりやすい指標だ。「可視化できる」ということは、他の人と共通認識がもてる。安心する。1つの精神安定剤のような気がする。

ただ最近は、とにかく記事を書いても見られなければ意味が無かったり、PV数が伸びたからといって、その記事がきちんと読者に伝わっているとは限らなかったり、記事の内容、すなわち“そのもの”に対する価値の指標が、数字だけでは語られなくなってきている。

今年はひと月あたり読む本と見る映画の数を決めて、それを目標に過ごしてきた。本も映画も楽しいので、最近は目標を越えて読んだり見たりしているし、どんなに遅くなっても本を読んでから寝たいと思うようになった(おかげで毎日眠い)。毎日noteも毎日書くを目標にして、今は軌道に乗っている。

けれど、「その目標の先にあるのはきちんと達成できている?」に対して、見えていない自分に直面して、すごくもやっとしてきてしまった。数字を追って安心していた先に待ち受けていたのは、「今までやってきたこと」に対する価値の不明瞭さだった。

質も大事だけれど、量も大事。とにかく書く。インプット量を増やす。どれも欠かしたくない事だ。今やっていることも(たぶん)無駄ではないと思う。けれど、数字を追うことに必死になってしまったからこそ、今は何かがからっぽになってしまったような気がする。

歩みは止めたくないけれど、果たしてこれは、“正しい”歩みなのだろうか。未来がぼんやりとしたまま、通勤時間に本を読み、週末に映画を見て、そしてやっぱり毎日書いている。

今後どうなっていくかは、まだわからない。

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毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
テーマ #1年後の自分の姿

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