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「失敗が怖い」は具体的に言うと?

失敗が怖い」と聞くと、失敗した時の怖さを思い浮かべるのは難しくない。けれど、本当にそれが、その人の言った“怖さ”なのかを考えたことはなかったなぁと思った。

お世話になっているライティングチームで、メンタルモデルのワークショップに参加させてもらっている。一人が推論のはしごを書いて発表し、聞き手が深堀の質問をしていくことで、潜在的にある無意識に気づいていくワークショップだ。

今回、完璧じゃないとすべてがダメだと考えてしまう「ゼロヒャク思考」について話していた時に、「失敗するのが怖い」という言葉について各々考える“怖さ”が違うことに気づいた。

ある人は「誰かに笑われるかもしれない」ことを恐れ、私は「誰かに見放されるかもしれない」ことを恐れていたのだ。「失敗するのが怖い」とだけ聞いて、激しく首を縦に振ってはいたけれど、想像していた内容は違っていたことになる。「怖い」をちゃんと要素分解していくと、自分が何を恐れる人間なのかが見えてくるのだなぁと思った。

怖さを感じる対象は違ったものの、さらに抽象度を上げていくと共通点が見えてきた。それは「自分の評価が他人には高く見積もられていて、それを下回ることが怖い」ということだ。さらに、イメージしている下げ幅が半端ではない。誰かのたった一言が、痛恨の一撃をくらったかのようにクリティカルヒットして、瀕死状態になってしまう。一体どうして、こんなことが起こってしまうのだろうか。

もっと細分化して考えてみてもいいんじゃない?

今の話を友人にすると、そんな言葉が返ってきた。自分のことをしっかり信じていられる、安定した友人だ。

瀕死状態にならないように、小さい山に細分化して考える。ひとつ山を越えたら、ちゃんと1回休憩する。そうすれば、痛恨の一撃をくらうタイミングも少ないんじゃないか、と。もしかしたら私は、一撃を受けることが怖くて、ずっと自分の中で温めてしまっているのかもしれない。だからこそ、完璧じゃなかった時の代償が大きくなってしまうのだろう。

すべてを完璧な状態で出そうとすると、だめだった時の手戻り感はかけた時間だけつらい。3割できたら振り返り、また3割進んだら振り返って、ちょっとずつ小さな成功を置いていったら、たとえ100に到達しなかったとしても、「60までは進んだね」と振り返ることができる。かけてきた時間を、ちゃんと認められるようになるのだろう。

なんとなく共通認識だと思っていることでも、具体的に聞いていると実は違う感情を持っていたりとか、失敗を恐れ、完璧を追い求めすぎて、「失敗すると怖い」環境を自ら作り出していたりだとか。どれもこれも全て無意識の行動なのが、人間の複雑さを物語っているよなぁ。メンタルモデル、奥深い。

去年の毎日note


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