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「正解」探しから抜け出す方法

いつも正解を、狙いすぎてはいないだろうか。

「こんなこと言ったら嫌がられるかな」「嫌われるかな」と、相手の気持ちがマイナスになってしまうことを想像して、なかなか行動に出れない。気持ちよく過ごしてほしいからこそ、自分が邪魔をしないように、どうか相手の気分を損ねないようにと無意識に行動してしまう。そして自分と似ている人にはなおさら、いつもよりもいっそう気を遣うようになる。だって、些細なことで落ち込んでしまうことをよく知っているから。

それが最近、ちょっとストレスだ。

嫌な思いをしないようにと気を使って、“正解”を狙いに行くものの、それって結構な至難の業だ。自分の行動がおもしろいくらいに裏目に出て、相手との距離がどんどん遠ざかっていく。こんなはずじゃなかったのに。どうしたら正解にたどりつけるのか。わからないまま迷い続けて、何も出来なくなってしまっていた。

正解なんてたどり着かない確率の方が高のに、「私の行動は間違っていた」と頻繁に落ち込み、自分で勝手にハードルをあげて、勝手に苦しむ私は何なのだろうか。自信もなくなり、相手の気持ちもわからなくなる。これは、高すぎる目標が引き起こした弊害だ。

何をやっても嫌がられてしまう。そんな時にたどり着いたのが、「大失敗を避ける」思考法だった。

正解を狙うのではなく、最悪の事態を避けるための行動を探す。ある行動をするか・しないかで迷ったら、「どちらを選ぶと相手に派手に嫌がられるか」を考えるようにしてみた。避けるべきは「大失敗」の一択。そう考えると、“正解”の範囲がぐんと増えた。

後悔してもし足りないような、大失敗さえ免れればそれでいい。「あれもできない、これもできない私はダメな奴だ」なんて言わないで、「色々大変だったけど、今日もなんとか生き抜いた」って思えれば、ちゃんと自分を褒めてあげられる。正解ばかりにとらわれずに、最低限避けたいことを考えてみたら、不思議と自然体でコミュニケーションが取れた。

もしかしたら私は、肩に力をめいっぱいこめて、カチコチになって相手を見ていたのかもしれない。そんな不自然な人は確かに、正解なんて狙えないよなぁ。

もっと自分のハードルを下げて。いつも正解じゃなくても、誰にも何も咎められないから。正解探しに疲れたら、そんなふうに思うようにしている。

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