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待つ時間も日常の一コマに

しとしと降る雨を見ながら、「そういえば」と思った。数日前に出した手紙のことが頭に浮かんだのだ。

恐山の宿坊に泊まりたいのだけれど、冬の間は電話回線が切られていて予約ができず、調べたところ「手紙で予約ができた」とあったので私も送ってみたのだった。そろそろ手紙も届いている頃だろう。あれで無事に予約ができたのだろうか。

予約の手段が手紙で、不便だと思ったのは確かだ。便箋を用意し、手紙を書き、郵便局で切手を貼っておくってもらう。オンラインのワンクリックや電話に比べると、送るにも届くにもはるかに時間がかかる。

けれど、わからないことに対する空想の時間を楽しむなら、手紙を手段にしてもいいのかもしれないなと、予約のことを考えたときにふと思った。

メールは一瞬で届くし、エラーの返事も一瞬だ。むしろ、時間がかかってしまう場合はそれがモヤモヤの対象になったりもする。LINEになればそれを相手が見たのか、そうでないのかまで確認できるし、チャットツールは相手がオンラインなのかもまるわかり。「今、どうなっているのだろう」と思いを馳せる隙がないのだ。

仕事の用事や緊急事態なら、早く・確実に相手にとどけることが大切になる。自分の仕事を早く進めるためにも、手紙を出してのんびり待ったり、空想したりする時間は不要だ。

けれど全てにおいて、その時間は不要なのだろうか。旅行の予定や、誰かと会う約束、遠く離れた友達との近況報告など、"届ける先のことを思って待つ"そんな時間があっても楽しいのだろうな、と思う。

私の手紙は今どこにいるのだろう、あの子のもとにはいつ届くだろう。届いたら、どんな表情をするのだろう。そんなふうに空想する時間が、日常のひとコマにあってもいいと思うのだ。

オフィスの窓際でそんなことを考えていたら、スマホに電話がかかってきた。電話番号の下には「青森県 むつ市」と表記がある。恐山のある場所だ。

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