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学歴の良し悪しについて考えたこと

ザワザワとしたニュースがあとを絶たない。

「卒業式が中止」というニュースからは、東日本大震災で中止になった大学の卒業式を思い出し、「内定取り消し」の報道からは、リーマンショックで内定取り消しの恐怖に包まれた、同い年の友達たちを思い出す(浪人をしたので、私が影響を受けたのは取り消し後の不況からだ)。

他人事のようで他人事になれない、そんな話を頭の片隅に残し、何気なくツイッターをスクロールしていたら、「当社は採用時に学歴をみません」といったメッセージが目に留まった。

そういうのもいいよね、と思いつつ、「学歴を見る=悪」ではないよな、とも思う。

悲しいことに、私は学歴で優遇されてこなかった。就活でも周りの高学歴に混ざりながら、エントリーシートを出し、面接をうけ、なんとか内定までこぎつけた。いざ入社してみると、自分より学歴の高い人しかいなくて「どうして私は入社できたんだろう」と不思議に思うこともあった。

けれど、それが不公平だとも、「企業は何も見えてない」とも思っていない。会社によっては高学歴の人を必要としている、それでいい。

頭のいい学校に入れた人は、やらなきゃいけない学校の勉強を、コツコツやれる人が多く揃っている。受験勉強を一生懸命やって、まじめに努力し続けられる人が多い。「学歴」も、その人が頑張ってきた結果なのだし、努力を形で残せた証明なのだと思う。だから、コツコツ頑張って結果を残せた人の証を、あまり軽視するのもよくないんじゃないかと思うのだ。

もちろん高学歴の人の中にもまじめにやれない人はいるし、高学歴以外は努力ができないかといわれると、決してそんなことはない。浪人の1年間、毎日10時間以上勉強して、それでも全然成績が伸びなかったのだから、努力しても報われないことがあるのは自分で実証済みだ。だからこそ、学歴は結果の1つとして受け止めたい。良くも悪くも自分が頑張った結果を大事にしたい。


学歴はきっと、シード権のような存在だ。応募人数の少ない会社なら、学生1人1人と向き合って、その人がどんな人なのかを知りつつ採用可否を判断できるだろう。けれど規模が大きくなればなるほど、いったんどこかでふるいにかけなければ期間内に採用が終わらない。そこで出てくるのが、「頑張れた人が多い層」の高学歴なのだと思う。

シード権はあると便利。けれど結局は、どこで働くかよりも、誰と、どんなふうに、何のために働くかが、働き続けるうえで大事だ。社会人を10年ほど続けて、そんな境地に着地した。誰と働けるか、どんなふうに働けるか、入社前にわかることは少ないから、最初ダメでも挽回はきくんじゃないかな。


シード権に惑わされず、内定取り消しを人生の終わりにおかず、どんな形でも社会に出て、働くって楽しい! って思ってもらえると嬉しいです。


去年の毎日note


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