見出し画像

"大いなる疑問"を追っているか

「禅には3つの柱がある。1つは"大いなる信仰心"、1つは"大いなる精進"、そして最後は"大いなる疑問"だ」

臨済宗寺院の副住職にインタビューした時、そんな話を聞かせてくれた。ここで言う「信仰心」とは「基準を設定する」ことに近いという。何事もまず始める時は、それの基準となる教えが必要。それを忠実に守ることに努力を重ね、ある所まで来たらそれを疑え、ということのようだ。

ライティングでも似たことが言える。信仰心で示した"基準"は、わかりやすい文章を書くこと。それは例えば、『新しい文章力の教室』に書いてあることをすべて真似て、自分のモノにする。わかりやすい、基本となる文章を書くことに精進するのだ。

そしてわかりやすい文章が書けてきたら、次は「本当にこれで面白い文章が書けているのか。自分が書く意味はあるのか」を考える。それが恐らく「疑問」になる。

3つの柱は、私の好きな考え方「守破離」にも似ている。まずは師匠や先人の教えを忠実に守る、「守」。それができたら、自ら守ってきたものを壊していく。誰かのコピーから、自分らしさを模索するフェーズが「破」。そしてすべてを一度捨てて、全く違う境地に進む「離」。

さらに副住職の方は、「守や信仰はみんなするのだけれど、疑問を持ったり、破っていったりする人は本当に少ない」ともいう。疑問を持ち続けること、考え続けることは難しい。信じてしまえば、そのまま考えずに毎日をすごせてしまう。その方が人間にとってすごく楽なのだ。

最初は信じて守ってきたものでも、状況によって変わるもの。何も考えずに妄信し続けるよりも、各々の節目を迎えたら1度考え直して、自分はこの方法でいいのか、納得して進んでいるのかを考える必要がある。

選ぶ道は何でもいい。大事なことは、「考えたうえでその道を選んでいるのか」ということなのだと思う。


去年の毎日note



最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。