見出し画像

"死ぬのは今でなくてもよい。ならば、「命がけ」で何かしてからでも遅くない"

昨年行った恐山で、何度かすれ違った女の人が今でも印象に残っている。目が離せなくなるような思い詰めた顔をして俯き、早足で名所をくまなく回っていたのだ。

「恐山」という場所柄、死がすぐそばにあるように思う。死んでしまった人に会いたいと思う気持ち、自分自身が生きる意味を見出せなくなりそうな状況、あらゆる想いを抱えて恐山を目指す人が少なくないからだろう。

そんな恐山で院代を務める南直哉和尚の言葉は、死に対する重みと、死について考える人に向けて覚悟を決めた優しさが入っているように感じる。

最近書かれた直哉和尚のブログも、まさにそうだった。

「この疫病禍、追い込まれて「もう死んでしまおう」と思い詰める人もいるかもしれない。そうまで思う無理からぬ事情もあることでしょう。

ですが、そこまで思うなら、「死んだ気になって」できることもあるのではないでしょうか。死ぬのは今でなくてもよい。ならば、「命がけ」で何かしてからでも遅くない。」

死ぬのは今でなくてもよい。けれど、命がけでやってみた末、もう何も残されていないと感じたら……? 

大事なのは、何でも自分で背負い込まず、人に頼ること」と続く。

「市場万能であるかのような今の時代、情けないことに、他人に頼るには勇気が要るようになってしまいました。それなら敢えて、勇気を出してほしいと思います。 

自分ではもう万策尽きたと言うなら、そのときは他人を頼る方法を考えるべきです。それはまったく恥ずべきことではない。」

人に頼るのには勇気がいる。それならあえて、勇気を出してほしいーー。勇気を出す場面は、「自分でなんとかしなきゃ」とさらに追い詰めていくことではなく、「思い切って誰かに頼ってみてもいいかもしれない」と、考えを変えていくこと。自分がしてこなかったことを、やってみることが、あれこれ悩んでふさぎ込んでしまった人には大切なのかもしれない。

今までと違った行動を起こすことは簡単じゃない。優しいことを言っているわけではないのに優しく聞こえてくるのは、対象者に向けて発する責任と覚悟が言葉から感じられるからなのかな、と思う。

何かに困った時、どうしようもなくなった時。「勇気を出す場面」はどこかを、考えていきたい。


何度かnoteでも書いている、ブログをまとめた本も良書です。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」を始めました。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~土までのうち、私は月・水・金を担当しています。

恐山の話

去年の毎日note


最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。