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受け止める強さと、信じること

今週、こんなnoteを書いた。

事実に対する感情はすべて、感じる私たちにかかっている。

まさにこの観点で、新しいものの見方を提供してくれたのが、芦田愛菜さんの登壇だったなと思う。

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」
(「芦田愛菜、“信じること”を熱弁 達観ぶりに永瀬正敏ら感嘆『これ以上の答えはない』」より)

何回目の人生送ってるんだろ……と疑ってしまうほど思慮の深い回答をしている芦田愛菜さん。あまりにもしっかりしすぎているので、もしかしたら数えきれないほどの裏切りを経験してきたんじゃないか……と心配になってしまった。「裏切られた」という感情は、自分次第でさまざまな解釈が作れるんだよなと、達観したセリフを見て考えた。

たとえば高校生の頃によくあった、テスト前の会話。

「勉強した?」

「全然勉強してないよ~。赤点取るときは一緒だよ」

そんなやりとりで安心し、見事に私だけ赤点だったことは1度や2度じゃない。裏切られた、と思えば憎しみだけれど、「テスト前に私を不安にさせない優しい嘘」と思えば、友達思いのいい人だ。人の行動をどうとらえるかは、本当に自分自身にかかっているのだろうなと思う。まぁこれくらいなら、「裏切った」という言葉は、騒いで楽しむための遊び道具だと思うけれど。


“見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる”

たとえ理解ができなかったとしても、受け止められれば“信じる”になるんだろうな。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~金までのうち、私は月・木を担当しています。

去年の毎日note


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