見出し画像

見られているのか、それとも

昔の家は部屋のしきりがふすまだったなんて、信じられない。友達との電話も、独り言も、全部聞こえてしまうんだなぁと思うと、古くから日本人は周りの目を気にしながら、自分の行動を抑えていたのだと思う。

東京は、1歩道に出れば何十、何百もの目がある。偶然知り合いに会うこともあるし、毎日同じ時間に会う人もいる。「都心で働く人は、周りの目があるから美しい人が多い」という話も聞いた。身なりを整えなくてはいけないから、多分そうなのだろう。

最近、同僚に「もりやさんに見られていない気がする」と言われた。毎日会って話しているのに、そんな風に思ってたなんてと少し驚いた。けれど同時に、「見る/見られる」って実際のところよくわからないものなのだろうな、とも思った。

東京は、ふすまで仕切られた部屋のようだ。たくさん人がいて、誰かに見られている気がするけれど、でも本当に見られているのかわからない。

電車の中ではみんなスマホに目を落としているし、本を読んでいるし、パソコンを開いてる。でも、ちょっと顔をあげれば、誰でも見ることができる。

ふすまの向こうは、人がいるかもしれないし、いないかもしれない。いても、イヤフォンをつけて音楽を聴いているかもしれない。眠っているかもしれない。または、耳をそばだててこちらの音を聞いているかもしれない。

そんなよくわからない中で生きているのだから、誰かに見られているかを考えるより、見てほしい自分でいることを考えたほうがいいんだろうな。

ーーーーーーーー
毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
大テーマ#東京
テーマ#人の目

最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。