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自己肯定感を下げることで怠けていたあの頃

大学時代、私の手帳には月に数個、真っ赤な「寿」のマークがちりばめられた。

友達に約束をドタキャンされるたびに、黒い横線を引いて取り消すのが悲しくて、でも少しでも前向きにと、「寿」を書くようになったのだ。

「突然バイトに入らなきゃいけなくなった」

「急に行くのが難しくなった」

私の予定は暇つぶしのようなもので、どんな出来事よりも優先度が低い。「寿」を書いてはため息をつきながら、それでも「また今度ね!」と笑顔で返事をしていた。

そんな出来事を笑い話にしたら、笑い話どころかあきれたように怒られて、「もっと怒らないとずっとそのままだぞ」とお説教をくらうこともあって。でも何かしら言い訳をつけては「寿」を書き、「また今度ね」と笑顔で返していた。

今思えばそれは、自分がダメだからだと思うことで、勇気を出して行動することを怠けていたのかもしれない。

「怒ること」は怖いことだ。

自分がされて嫌なことを、「やめて」と言って怒れば、相手はもう私と口もきいてくれないんじゃないか。相手の気持ちがマイナスへ向くことは、自分が悲しい気持ちになることよりも耐えられない。どんなに予定のドタキャンが続いても「それならしょうがないよね」と、当たり障りのいいことを言ってその場をなんとなくしのいでいたのは、そんな気持ちがあったからだと思う。

本当に急な予定だって入ってしまうから、すべてに怒る必要はないかもしれない。けれど、どうしてもずらさなきゃいけない用事って、年に何回発生するものなのだろう。あまりにも不自然な予定キャンセル。もううんざりだ。

そんな気持ちを胸に抱え、「寿」が増えていく手帳をめくりながら、「自分は優先順位が低いから、しょうがないんだ」と気持ちに折り合いをつけていた。

けれど優先順位が低いことは、本当にしょうがないことだったのだろうか。

私が笑顔で「また今度ね」と言った相手には、私がドタキャンをされて嫌な思いをしたことは伝わっていない。それどころか、ドタキャンをしても気にしない、傷つかない人だと思っていただろう。だから、「この人なら大丈夫」と純粋に思ってスケジュールを調整していた可能性だってある。

私は「優先順位の低い自分」を盾に、相手に気持ちを伝えることも、向き合って話をすることもなく、ただひたすらその場を耐えていただけなのだろう。

嫌ならもっと動かなきゃ、自分の気持ちは伝わらない。それなのに当時の私は気持ちを出さず、「自分から誘うと断られるから、誘われるのを待ったほうがいいのかもしれない」と防御策を取るだけだったのだ。

大学時代にドタキャンが多かった人や、よく遊んだ人とはもう会っていない。きっと相性がよくなかったのかな、なんて考えたけれど、たぶん私が遠ざけたのだと思う。

一度友達に、「みんなで遊んでいるのが好き」と話したとき、「みほが私たちと遊びたいって思ってたのが聞けて、嬉しかった」と言われたことがあった。「また今度ね」と笑顔でゆるし、誘うこともなくなった私からは、一緒にいる時間を楽しんでいるのかわからなくなってしまったらしい。

もう会っていない友達の中には、また会いたい人だっている。でもなんとなく、気持ちが遠ざかって本当に連絡ができなくなった。伝えることをさぼっちゃだめだ。好きなら好きと、嫌なら嫌と伝えなくちゃ。好きな人には、なおさらだ。

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