見出し画像

感情は振り子のように。「悩みは、感動の種である」

数年前の冬のこと。心を無にして日々すごしたいと思って、ブッダの教えをひたすら読んでいるときがあった。体を支えきれなくなったビーズクッション、家から駅までの道、スーパーからの帰り道。もう戻ってこない思い出に耐えられず、悲しみを感じずに過ごすにはどうしたらいいのかと考えたのだ。

ブッダの教えには、どんな時にも平常心を保つよう、一つの感情にとどまらないことが書いてある。楽しいときも悲しいときも、その感情に執着せずに解き放つ。苦しみから抜ける方法には、そんなような言葉がつづられていた記憶がある。

ただ、最初はすべてを受け入れて読んでいたものの、次第にちょっとした違和感が芽生えた。苦しみを解き放つには、楽しみを手放さなくてはいけないのかも?と。

平常心でいることは、大きく動く感情の波を、穏やかな凪に変える必要がある。それが当時の私には、感動したり喜びに満ち溢れたりする気持ちを捨てるように思えてしまったのだ。

“悩みは、感動の種である。
そして悩みが深ければ深いほど、感動の種は大きく膨らんでいく。
そしてその種が花開いたとき、それは、悩みの少ない人間よりも遥かに、素晴らしい感動を経験することができるのだ。”
(水野敬也著『スパルタ婚活塾』)

辛かったり、悲しかったり。出口が見えずにもがくことは、決して悪いことじゃない。マイナスの感情へと大きく振り切るほど、その反動でプラスの感情も振り切れる。ふたつの感情はセットなんだよなぁと、平常心の今はそんなふうに思えるのだ。

うまく書けないとか、人間関係がうまくいかないとか、日々悩みはつきない。けれどその悩みの糸口が見えたとき、今まで見えていた世界とは違うものが、目の前に広がっているのだろう。


ちなみにブッダの教えは、“一つの感情にとどまらない”ことを言っているのであって、喜んではいけないとか、悲しんではいけないと言っているわけではないことを後から学んた。いつまでも悲しんだり、喜んだりしていると、そこで時間は止まってしまう。パッと切り替えて次に進むことで、人生は進んでいくのかもしれないな。


気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~金までのうち、私は月・木を担当しています。


去年の毎日note



最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。