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あなたと私の“普通の幸せ”を探して

つい最近、親に「あまり(Web上で)自分を出してしまうのはどうなのかな。みほが普通に幸せになってくれればいいと思っています。」と言われた。

アパートメントも、noteもすごく楽しくて、書くことで自分が保たれているような、毎回すごくスッキリした気持ちになれていたので、言われたときはかなりショックだった。

私は今でも十分幸せなのに。これは“普通じゃない”幸せなのだろうか。

「普通の幸せ」について聞いてみると、やっぱり親が求めているものは、「結婚」と「出産」だった。どちらも嫌がっているわけではないけれど、優先度を上げて行動したいものでもない。多分今は、その2つに対して「無関心」と言った方がしっくりくる。

とくに出産については親が焦る気持ちもわかる。けれど実感が持てない。別に嫌じゃないけれど、気合入れて考えるタイミングもないだけ。悲しいくらいに“どちらでもいい”のだ。電話から聞こえる親の声を聞きながら、特に返す言葉が見つからず、黙ってしまった。次のアクションが見つからない。親の「幸せ」に応えられないことで、今私が感じている「幸せ」がなんだか独りよがりのような、親を不幸にしてしまっているような気持ちになって、この先どうしたら良いのかわからなくもなった。

40年近く通い続けた通勤路、職員は90%がその地元周辺の出身、新聞は見るがテレビは見ない、生活圏も車で30分以内。その中で過ごしている親にとって、私が時々送るウェブサイトのURLは、まるで異世界で起こっていることと同じなのだろう。何一つ変わらない親と、変化の激しい環境にいる私では、“普通”に対する考え方も、認識も、全く違う。けれどそれは、しょうがないことなのだとも思う。

子どもが自分の知らない道を進むのは心配になる。その先になにがあるかわからないから。自分が知っている、周りの人が幸せになっている道を歩いてくれないと気が気じゃない。例えその先に、子どもの幸せが確証されていなくても。

歩み寄れれば問題ないが、とくに心配されている2つは私だけの問題でもないしなぁ……。

悪気があって押し付けてきているわけではないからこそ、どこかお互いの納得いくところを見つけて、綺麗に収めたい。親と私が一緒に描ける、「普通の幸せ」を目指していければ、と考えている。

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毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
大テーマ#価値観
テーマ#親世代の価値観

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