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「誰とでも仲良くしなくてはいけない」の呪縛

誰かのことを「嫌いだ」と思うよりも、「嫌われてしまったかも」と考えてしまう。

言われたことに対して怒るよりも、「相手にそんなことを言わせてしまった自分が良くなかったのかも」と考えてしまう。

いつだって相手が優先で、人を嫌いになれないし怒れない。だって嫌ったり怒ったりしている自分は好きじゃないから。

小さい頃、親はよく私を可愛がった。「あなたは誰とでも仲良くできる子ね」とか、「人の気持ちがわかる子ね」とか、できることをたくさんほめてくれた。実際に私はクラスのどこのグループでも居心地よくいることができる人だった。

大人になった今でも、嫌いな人はあまりいない。苦手な人でも会えば楽しく話せるし、誘われれば飲みにだっていく。ただ、誰かが私を嫌っていたり、苦手だと思っていたりすることはあって、そのたびに「あの人とどうしたら仲良くなれるのだろうか」と考えてはやさしく話しかけ、ツンとした態度に心が折れてしまうことがしばしばあった。

「嫌い」の感情がなかなか出てきづらく、苦手な人にいっしょうけんめい優しく接してしまう。そんな自分に疲れてしまい、「あの人がいる空間で、どうやってふるまったらいいんだろう」なんて考え込むーー。

どうしてそんなに頑張っているんだろうと考えると、2つのことが思い浮かんだ。

ひとつは、「誰とでも仲良くすると親に喜んでもらえたこと」。だから、仲良くすることが正しいと思っていた。

もうひとつは、「自分のせいで嫌な気持ちになる人を、ひどく恐れていたこと」だ。

”自分”そのものの価値が見いだせていないと、他人の評価が自分の評価に直結する。他人が私を”無価値だ”と思うと、それは自動的に自分の評価となるので、価値のある人間になるには、他人の気持ち優先で動く必要があった。これは『嫌われる勇気』を読んで対処法を見つけられたけれど、未だに自分が主体となって、誰かを好き・嫌いと分けることが苦手だ。

しかしこれには問題がある。なぜなら「好き」を大事にし、「嫌い」から遠ざかることが、自分に合った人間関係を築いていくうえで大事らしいのだ。

HSPの特性について書かれた本『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本』には、以下のようなことが書いてあった。

あたたかい人間関係を作るには、苦手な相手をきちんと嫌って遠ざけることが必要です。好きな人との関係を密にし、嫌いな人を遠ざける。「キライ」という一見ネガティブな感情であっても、自分の本音をそのまま肯定することで、自分に合った自然体でいられる人間関係ができていくのです。ーー(「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本)

「誰とでも仲良くしなきゃいけない」の意味は大人になるにつれて、「苦手な人でもあったときには当たり障りなくできるように」に変わっているのかもしれない。だって私が誰かから嫌われることは避けられないように、私だって誰かを嫌いになることは、人間として避けられないことだから。今はただ、「嫌い」と言える自信がないだけだ。

自分を"無価値だ”と言う人を必死で阻止するよりも、大事な人が自分を大事にしてくれた方が、"自分は価値がある”と自信をもてるようになれるのかもしれない。

「怒れないこと」もこの類なんだろうな。

去年の毎日note


ご参考


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