言葉って、曖昧で、わかりやすくて、難しくて、面白い
「『心は折れない。なぜなら心は棒じゃないから』っていう言葉を聞いてすごい納得したんだよね」と、毎日noteで一緒の勝股さんが言っていた。
はて。と考え込んでしまったけれど、一緒にいた別の友人が、「言葉で世界は作られてる(だったかな…)って言ってたけどまさにそれだよね」と解説してくれたので、家に帰ってから少し考えた。
実際のところ心は“折れない”のに、「心が折れる」という言葉が出来てしまったがゆえに、心は折れる存在になってしまった。「心が折れる」という言葉はよく使うし、辞書を見れば意味も出てくる。その事象がどんなものであるかはみんな共通認識としてある。
ただ、あなたの「心が折れる」のは、具体的にどういうこと? と聞かれると、多分それは、自分にしかわからないのだろうなと思った。
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学生の頃、この手の話をずーっと考えていた。自分の気持ちを英語で伝える場面が増えて、日本語では出てくるけれど英語でぴったりした言葉が見つからないことがよくあった。当てはめるとコレ! みたいなものはあっても、その単語が100%同じ意味ではないような気がするのだ。
そもそも日本人同士でも、自分の気持ちがちゃんと相手に伝わっているのかな? と思うと、そんなことはない。「幸せ」と言ってもそれぞれ考えている「幸せ」は違うし、私が「幸せ」と発するタイミングと、他の人が言う時とは状況も気持ちの高まりも全く違う。
言葉ができ始めた頃、まだ感情を相手に伝えられなかった頃、それぞれ違うはずなのになんだか大きなくくりにして、どうやって「幸せ」と名付けたのだろうか。これが、学生時代の謎だった。もちろん未だに答えが見つからない。
もしかしたら、言葉が先だったのかもしれない。いくつか単語を作ってみて、誰か1人サンプルのような人がいて、その人が感情を出した時に「はい、この時は『幸せ』にしよう! 次は『悲しい』ね」とかやってたのかも。
「椅子」と言う単語1つとっても、そこにある物体によって「椅子」が誕生したともとれるし、「椅子」という名前がついた時点で、「椅子」として誕生しているともとれる。言葉とはなんて不確かで、曖昧なのだろう。
そんな不確かなもので私たちは日々コミュニケーションをとっているわけだから、理解できないことがあるのは当たり前なんだろうなと思う。相手の気持ちがわかったなんて言ってしまうのはおこがましいのかもしれない。
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言葉についてもやもや妄想を巡らせていた学生時代だったので、卒論は「言葉からみる日本文化」がテーマだった。言葉はそれを使う人の根本的な考え方や、それができた文化を表しているのだろうなと思ったのだ。
英語ではゆるぎない1人称(I)が明確にあるのに対し、日本語にはない。「私」という一人称も、厳密には「公(public)」に対する「私(private)」の意味合いで使っていた言葉だ。
先生が生徒へ「先生はね…」と言うように、相手によって自分の呼び方を変えるのも、常に相手ありき、そして相手と自分の立場を考えてのコミュニケーションをとっていることになる。
そうやって紐解いていくと、「言葉も相手の様子を見ながら変えるのだから、自己主張が難しいのは仕方ないよね……」なんて、いい意味で開き直ったりもできる。
言葉って曖昧だし、考え方がもろに出るし、難しくて、面白い。
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久しぶりに卒論をパラパラ見返してみたら、1文は長いし表記ゆれもひどかった。うぅ…書き直したい。
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