「合わない」の原因は君じゃない
2~3cmの小さなクモと、しばらくのあいだ一緒に暮らしていた。
寒さの残る春ごろからだろうか。部屋のデスクで仕事をしていると、ディスプレイの上の壁や、書類ケースのそばから、ひょっこりクモが顔を出した。捕まえて外に出せるほど虫に強くないし、かといって叫びだすほど大きな存在でもなかったので、いつも見て見ぬふりをして、いつもその場をやり過ごしていた。
味を占めたクモは、私の部屋を飛び出した。ある時はリビング、ある時はトイレの壁にまで散歩に行く。同居人もクモの存在に気づき、「3人でシェアハウスしてるみたいだね」なんて言ってあえて外に出すことをしなかった。
けれど、しばらく見かけなくなった。「どうしたんだろうね」とか話しながら、クモがひょっこり顔を出すのを待つ同居人と私。彼(または彼女)は、もう旅立ってしまったのだろうか。
クモの存在を忘れていたころ、再び私の目の前に現れた。ちょうどオンラインミーティングをしていた時だ。よくいたディスプレイの上の壁で、立ち止まったり動いたりを繰り返している。けれど私は、3人目の同居人の帰りを祝うよりも先に「怖い」の気持ちが先行した。たっぷり餌を食べたのだろうか、これまでよりも一回りほど大きくなっていたのだ。
クモは単純に、成長しただけだ。悪化も退化もしたわけではなく、生きていれば当たり前の方向に向かっていった。クモに何も落ち度はない。けれど私は、その変化に「怖い」と思い、「一緒に住めない」と感じた。たとえクモが何も悪くないとしても、私にとって脅威的な存在になってしまったのだ。
人との相性も、きっと同じことなんだろうなと思う。気の合っていた人といつのまにかうまくいかなくなったり、ずっと一緒にいた恋人と意見が食い違っていったり。どちらかが悪くなったわけではなく、どちらかが、またはどちらもが、自然のなりゆきで変化していっただけで、それが相手にちょっと窮屈になってしまっただけなのだろう。
「合わないな」と思われても、その原因は自分にはない。ある一定の相性でうまく回っていた歯車が、成長とともに窮屈になってしまっただけだから。
クモは同居人の手によって、家の外へと出されていった。ぬくぬくと家の中で過ごしていたクモにとって、外はきっと過酷なサバイバルゲーム会場だろう。小さいころは大丈夫だけど、成長するにつれてちょっと違ってくるなんて、まるで地元の友達みたいだなぁ。
おととしの毎日note
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