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「好きな文章」という感情は何から来るのか

以前にこんな記事を書いた。

変わらず私は嘉島さんの文章が好きで、最近noteに書いていたものももちろん読んだ。

エモい文章の作り方の話だったのに、なんだか物語のよう。そして最後の1文で私はすごくゾっとした。うまく言えないけれど、夜道に背後を取られたような、なんだかすごく恐ろしいような気持ちになったのだ。「感情が動かされた」という点においてはこのnoteもエモさの代表なんだろう。

次のnoteは、1回しか最後まで読めなかった。読んでるうちに涙がボロボロこぼれてきてしまったので、最後は駆け足で読んだ。もう1回読もうと思うのだけれど、同じところで泣いてしまう。そろそろ落ち着いたから、もう1回挑戦してみようかな。

文章はとても落ち着いているのだけど、それを見て勝手にこっちで盛り上がってしまうような、想像を掻き立てられるものがあるなぁと思う。

ふと、「好きな文章」ってどこから来るのかなと思った。ちょっと恐ろしいようなゾクっとする文章も好きだし、読めば温かい気持ちになるようなものも好きだ。

ちょっと苦手なのは、“ポエム的“なもの。詩になってしまえばいいのだけど、詩のような、文章のような、感情移入が出来そうで出来ない、読んでいてうわずみだけをすくっているようなものはどうも読む気にならない。あと、ふわりとした恋愛ものも世界に入り込めない。

「どうして好きなのか」の言語化もしていきたいなぁ。そしてもっともっと、色々な文章を読みたい。

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大テーマ#文章
テーマ#好き

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