嘘と正直のバランスは周りに合わせて
ライター名を出していなくても、事件の記事を書くと犯人が逆上して、危険な目に遭う可能性がある。バングラデシュではそうなのだと聞いて、理解が出来なかった。
「ライター名を出さないのに、どうして書いた人が特定できるんですか?」と、前のめり気味で聞く。返ってきた言葉はますます私の理解を超えていた。
「会社に電話がかかってきて、社長や上司が教えてしまうんです」
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MOTHERHOUSEを立ち上げた山口絵理子さんの本でも、バングラに工場を作ろうとして、何度も何度も裏切られてきた経緯が書いてあった。信用できない人たちと一緒に働くなんて、会社のこと以外に気を取られてしまいそうで、集中できないんじゃないかと思った。
工場や会社だけではない。わいろ文化で、わざと電気や水を止めては「復旧にお金がかかる」と言ってお金を巻き上げる人々。信頼のない社会でどうやって生きていくのだろうかと、不思議が残った。
そんな話をした後、別の人との会話で「会社には嘘をついて、別の仕事をしに抜けている」と言う人の話を聞いた。多分そういう人は少なくないだろうし、大きい会社になればなるほど、社員のたった一人が"ちょっと抜けて別の仕事"をしたところで痛くもかゆくもない。
けれど、小さくても嘘をつく人を、信頼しながら一緒に仕事がしたいかなぁと思うと、心の中に小さなもやもや生まれた。
たぶん、私が思っているほど周りは気にしないことなのかもしれない。なんでも正直に話すことがいいとも限らないし、時には嘘も必要だ。けれど大事なことは、どこで嘘をついて、どこでは正直に話すのか、そのポイントが一致していないと、周りからの信頼を得られないような気がした。さらに自分が嘘をついていれば、周りもそうだと思ってしまって信頼ができなくなる。
バングラデシュでは、正直に話す部分と、うそを言って守りぬく部分が日本と違うのだろうな、だからバングラの社会は成り立つし、私は理解に苦しむのだろう。嘘と正直のバランスが周りの人と一致していると、そこに「信頼」が生まれる。
私はどんな時に正直でありたいか。嘘をついて改善していきたいか。周りの人の価値観と照らし合わせながら、考えていきたい。
寝坊したことが言えなくて「腹痛」とごまかし遅れて出社した頃、同僚から何人も「大丈夫ですか?」と聞かれたときは、もう絶対仮病は使わないと誓いました。
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