起点は不安か意気込みか。同じ結果になったとしても
外出自粛が出てからというもの、リアルで会う知り合いは同居人のみに限られた。LINEで連絡を取る友人、オンライン飲み会をする友人は数人いるけれど、やっぱりリアルで会う時とは違う。何かに一枚隔たれて、守られているような、相手がよく見えないような気持ちになる。
同居人と私は、最終的に行き着く答えは一緒のことが多いけれど、スタート地点が全く違う。
たとえば、誰かの役に立ちたいと思う時。私の場合は「相手の役に立っていないと、ここにはいる資格が無いような気がして不安になるから、自分はここにいていい存在だと思えるように頑張る」と思うことが多いのだけれど、同居人は違う。もしも相手の役に立てたら喜んでもらえるし、そのほうが絶対居心地がいいから頑張るのだそう。
私はできないことを想像して不安になるのに対し、同居人はできることを想像してモチベーションを上げる。生きづらさの正体は、ここにあるんだろうなぁと思う。
どうしてできないことを考えてしまうのかな、と考えると、「できなかったら人生終わる」くらいの謎の切迫感があるのかもしれないと頭にうかんだ。それは"人生トーナメント戦"で考えがちな、私の思考のクセだ。
もしも役に立てなかったら?と同居人に聞いてみた。すると、「役に立てるように最大限努力するし、やり切るから、それでもだめだったらここがマッチしてなかったんだな、と思うよ」という。
私だって、最大限努力してやり切る。それがプレッシャーに駆られたものであるかもしれないけれど、やり切ったあとにダメだと言われたら、「それでも、自分はここまで頑張ったから」と思える。結果の思いは一緒なのに、同居人はやる気に満ち、私は不安を背負ってその道を進む。スタートが違うとこんなにも心に変化が大きいのかと感心してしまった。
幸い今は、トーナメント戦が開催されるタイミングが極端に少ない。幸か不幸か副業分の仕事も落ち着いているし、「役に立たなきゃ」と思う人から一定の距離が置かれている。そして一番身近には、自発的に挑戦する同居人の姿。
このタイミングでしっかり、同居人の研究をしておこう。自分との違いを理解して、放っておくとつい考えてしまうことを絞り出しておきたい。次人に合う時は、リーグ戦を進む私になるように。
去年の毎日note
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