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500円は誤差?それとも生きるためのアイテム?

日吉で一人暮らしをしていた頃に、何度か通っていた美容室があった。私より5個くらい年上で、ちょっとチャラそうなおしゃべり好きの男性が、1人で開いている美容室だった。

通っていた理由は明らかで、単純に安かったのだ。「『彼とデートで気合い入れたい』みたいな時、普通のヘアセットだと5,000円近くかかるけど、ヘアアレンジ程度なら500円でやってやるよ」と言っていたので、結婚式の2次会や、当時の彼とのクリスマスデートの時に500円を払い、アレンジしてもらっていた。髪の毛は一つに結ぶくらいしかできない私にとっては、とてもありがたいサービスだったのだ。

さいきん何度か通っている美容室は、とても好きな空間が広がっているところだ。知らない人と話すの、ちょっと無理するタイプかも?と思ってしまうほど、不器用さがある美容師さんが、こちらも一人で切り盛りしている。あまりにも好きな場所なので、最近取材もしたほどだ。

そこでは前髪カットを500円でやっている、という話が出た。お得ですね、と言おうとしかけたところで、美容師さんは続けてこんな話をした。

「500円って聞くと安いね、という人もいるんですが、500円あれば普通にご飯が食べられますからね。生きていけるわけです。そんな貴重なお金を僕に任せてくれるんだから、こんなに嬉しいことは無いですよ

日吉の時は私の価値観とも合っていたから、違和感がなかったけれど、お得でしょ?というのは改めて考えるとちょっと強引な気もする。

500円が私の収入の何パーセントにあたるのか、生活するうえで気軽に使えるお金の範囲なのか、それを判断するのは自分自身だからだ。もし私が自分で気軽にヘアアレンジを楽しむ人だったら、きっと500円かけていくことはしなかっただろう。

そしてそこでは、1度カラーをしてもらったくらいで、あとはずっと500円を払うだけだった。

相手が「気軽に使える範囲」だと思っている金額をもらった時、その使い道はどうなるのかなぁとも思う。きっと取材をした美容師さんは、自分が生きるための大事な部分で、もらった500円を使ってくれるのだろうなぁ。

価値のものさしは、人によって本当に違う。500円を「気軽に使えるお金」だと思う人もいれば、「1食分生き延びられるお金」だと考える人もいる。一つの事象でも、本当に何通りも価値の幅が広がっているのだ。

人と関わる中で大事なことは、相手が持っている価値と自分が持っている価値のものさしの差異を、きちんと理解することなんじゃないかと思う。相手が500円にどんな価値を見出しているのか、24時間の中で、1時間とってもらうことが、どれほどハードルの高いことなのか。自分のものさしを知りつつ、相手のものさしで考えようとすることが、相手をそのまま「認める」ことにもつながるのかもしれない。

そして私は、大事にした500円を大事にしてくれる人のもとへつなぎたいなぁとも思う。平日も休日もパソコンに向かいながら稼いだお金だもの、そんなふうに一生懸命やってくれる人のもとに、この500円を引き継いでいきたい。



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